クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 神の存在を信じ切ることができるのかどうか。それは分からない。ただ神がおられると感じる時がある。先週名古屋で説教者トレーニンセミナーに出席した。朝の祈りの時、一人の牧師がイザヤ書を読み、説教をした。そのイザヤ書の言葉はこうである。

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。(イザヤ55:8〜9)

 こういう言葉が人間の口から出る言葉なのかと思う。神が語られたのでなければ、このような言葉は存在しない。聖書には、神から出たと思わざるを得ない言葉が色々とある。それらを読む時、神の存在を思う。
 あともう鮮やかに神の存在を思うのは、タイムリーな出来事である。先週土曜日、朝起きるとファックスが届いていた。それは恵みの分かち合いの原稿であった。昨年の年末から、週報の裏面に、神から与えられた恵みの分かち合いの文章を載せている。僕は、信徒が自主的に原稿を送ってくれることを願い祈っているが、それが来た!のである。ちょうど僕は少し落ち込んでいたので、神様からの励ましと受けとめた。


 人は災いが起きると神はおられるのかと問う。順調な歩みをしている時は問わない。なぜ問わないのだろうか。時が良くても悪くても、神の存在を感じようと感じまいと、神が共におられることを信じ、神と共に歩む者でありたい。