クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 先週から今週にかけて小さな試練に直面した。心が揺れ動く。おぼれそうになる。ディボーションをしながら、導きを受けて、心の立て直しができた。何気なく、ある本を手にとってパラパラッと見たら、興味深い文章があった。阿南慈子さんという多発性硬化症という難病を患っている方の『花のかおり』という本の中に、癒やしについて書いてある文が目に留まった。ヨハネ福音書9章に盲人の目が見えないのは、神のみ業の現れるためであると主イエスは弟子たちに語った。神のみ業が現れることを巡っての文章。感動を与える文章。

「この御言葉を読んだとき、『神のみ業が現れる』ということを奇跡によって目が見えるようになることだと思うかもしれない。超自然的な病の癒やしを私も心から信じている。そしてそのことは、確かに『神のみ業の現れ』であり、神の栄光の表れであることは言うまでもない。でも病が癒やされる、完治するということだけが、神のみ業の現れなのだろうか。私も病の完治イコール『神のみ業の現れ』とまでは言わないものの、かなりそれに近いイメージを持っていた。私は今年で、難病を発症して10年目となる。目が見えなくなってからは8年目。その間、やはり私なりに悲しいことも残念に思ったことも数々ある。だけど喜びも感動もこれまた人一倍多く与えられてきたことを言いたい。これらは目が見えないとか、難病を通してのみ感じられたものなのだ。これを思う今、この世の中の現実として数え切れないくらいたくさん存在する苦しみは、ただ無駄に無意味に存在するのではなく、受け取る人の心の方向をキリストに向けた時、尊い意味と価値を持て輝き出すのである。まるで宝物のように。・・・。病気でなかった時よりももっとすばらしい人生が送れるなら、これもまた神の栄光の現れと言いたい。このことを知った今、すべてを感謝することができる。そしてすべてのことが『神のみ業の現れ』となるように祈らずにはいられない」。

 この文章を説教に引用した。神の導きを感謝。