クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

今日は礼拝を休んだ。熱が出てだるく、起き上がる気がしない。横になって体を休めるだけ。夏休みをいただき、説教は休みなので、礼拝に支障を来したわけではなく、安心であった。疲れがたまっていて、休みということで緊張感がなくなり、風邪を招いたのかも知れない。


 寝ながらiPodに保存して老いた講演を聞いた。老いと死に関する講演。その中で、年を取ることは賜物であると語られた。一瞬耳を疑った。しかし、その通りだと思った。老いることは賜物である。若い人には与えられない経験である。おいた人の気持ちは、老いないを分からない。老いた人には、人生経験がある。そこから得られた知恵がある。覚悟がある。

「出来事は起こる時には起きるのである。それはそれでありのまま引き受け、黙々と淡々と処理するしかないのだと開き直れる年齢まで生き延びてしまった」(南木佳士『草すべり』より)。

 これも年老いた人が持てる態度であり、覚悟である。僕自身は、老いをどのようにして賜物として受けとめるのか。内村鑑三は50才過ぎて再臨信仰を持ったが、再臨の希望を確かな希望として求め、この信仰に生きることができるのも、老いの賜物ではないかと思う。残された人生を有意義にするのは、再臨信仰しかないと思わされる。