クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 使徒パウロは時々涙を流す人であった。彼は、コリント教会への手紙を涙ながらに書いている。あるいはフィリピ教会あての手紙の中で「キリストの十字架に敵対して歩んでいる人が多いのです」と涙を流しながら書いている。使徒言行録では、涙を流しながら主に仕え、涙を流しながら教えていると述べている。


 僕は、残念ながら涙を流すところまではいっていない。朝の連続ドラマの「おひさま」を見ている時、何回も迫るものがあって言葉が出なくなることがあった。人間の真心が示される場面に直面すると泣きそうになる。泣きそうになるといっても胸に迫るものを感じるという方が正確である。妻は昔の私は感情のない人間に思えたという。そして感動で言葉が出なくなる私を人間らしくなってきたと言う。世間では俗に「涙もろくなる」という現象が起きていると言うことなのであろうか。まだ伝道者の涙は流せそうもない。


 弟子コースの学びで、私がディボーションを分かち合った後、わたしのために祈ってくださった人の祈りを聞いていたら、涙が出そうになった。ちょっとだけにじみ出たかも。