クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 寒波が到来して冬型の天気で雪が降るとのことであったが、青空が見えたりして明るい内は雪が余り降らなかった。寒さ対策に、牧師室の窓に「発砲クッションシート」を張った。窓の側に行っても冷気を感じないので効果があるのだろうと思う。

朝、ヘブライ人への手紙11章7節を読んだ。ノアのことが書かれている。ノアは、

その信仰によって世界を罪に定め

と書かれている。どういうことか。
 神はこの地上が堕落しているのを見て、洪水を送り、生きているものをすべて滅ぼすことを決意された。神はノアに対しては、洪水をもたらすので、箱舟を造って生き延びなさいと言われた。ノアは、この神の言葉を信じ、箱舟を造ることに着手した。そして洪水から救われた。
 すでに地上の人々は堕落していた。ノアは「その信仰によって世界を罪に定めた」というのは、この堕落を指すのではないだろう。ノアは、神の言葉を聞いて従った。これがノアの信仰である。そしてノアが舟を造っているのを見た人々は、何をしているのかと尋ねたに違いない。そしてノアは神の言葉を告げた。でも人々は信じなかった。神の言葉を信じなかったことが、罪と定められたのである。神の言葉を信じたノアは「信仰に基づく義を受け継ぐ者となった」と書かれている。


 新約聖書は、イエス・キリストの再臨、神の裁きを告げる。ノアの時代の人々にとって神が洪水をもたらし、滅びをもたらすという話は、信じがたかったであろう。そして終末の到来、イエス・キリストの再臨、神の裁きという聖書の告知は、現代人には信じがたいものがあるだろう。信仰者でさえ、これを本気に信じてはいないかもしれない。僕は、どうしたら終末、再臨、裁きと信じることができるのか、考えてきた。自分をどう信じさせるか、である。その結論は、簡単だった。神が語られた、だから信じる、というのが答えである。ノアと同じである。そのようにして僕も信じている。


 このノアの出来事は、今の出来事でもある。イエス・キリストの再臨、神の裁きを信じ、神の国を待ち望んで生きている信仰者の姿は、これを信じない者たちを罪に定めるとヘブル書は言っているのではないか。神は説教者を通し、福音を告げ知らせる。そして信じない者たちは罪に定められるとヘブル書の著者は語っていると受けとめる。とすれば、説教者の語る説教が問われる。パウロはピシディアのアンティオケアの町で説教したときこういった。

神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。

つまり罪に定められたのである。説教者の語る説教は福音であり、受け入れない者を罪に定めるのである。であれば、福音を明確に語らなければならない。「あなたが福音を明確に語ってくれなかったから、私は福音を信じることができなかった」と神の裁きの前に立った人が、僕を指ささないためにも。