聖書 ルカ 2:1〜20
説教 神の栄光輝く夜
2011/12/25
→人間の業績をたたえて賞を贈るということがあります。
- オリンピックのようなスポーツの大会では、優勝した人に金メダルを贈ります。
- 一つの競技では優勝した人だけに金メダルが送られます。
- 受け取る人にとっては名誉なことです。
- 学問や社会的活動が高く評価される人にノーベル賞が贈られます。
- これも賞を受ける人の業績の素晴らしさがほめたたえられます。
- ノーベル賞の場合も、金メダルが授与されるそうです。
- 金メダルは、それを受ける人の栄光を現していると言ってよいと思います。
- クリスマスの夜、天使たちが神に栄光あれと、神をたたえました。
- 今日は、神の栄光について聖書から聞きます。
→ベツレヘムの町で救い主が生まれました。
- 生まれた子は、飼い葉桶に寝かされました。
- 8節、その夜、羊飼いたちが野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていました。
- 9節、すると突然、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたとあります。
- 思いがけない出来事の故に、余りにも不思議な光景の故に、
- その明るい輝きの故に、羊飼いたちは恐れを感じたとあります。
- 羊飼いが恐れたのは、神の存在を感じたからです。
- 神は、輝きに満ちたお方です。
- 天使は神の使い、天使もまた輝きを帯びていたのです。
- そこで天使が現れ、辺りが明るくなりました。
- この明るさは、神ご自身の輝きに他なりません。
→神の栄光は聖書によると色々な形で現れます。
- イスラエルの民が奴隷の地、エジプトを脱出し、約束の地に向かって旅をしました。
- その旅において、神の栄光が現れています。
- たとえば、旅の途中で食べ物がなくなり、イスラエルの民は不平を言いました。
- そして「エジプトで死んでいた方が良かった」などと言い出す始末です。
- モーセがイスラエルの民に「主の前に集まりなさい」と命じました。
- 集まった民が荒野の方を見ると、主の栄光が雲の中に現れたとあります(出エジプト16:10)。
- イスラエルの民は雲を見ましたが、その雲は特別な輝きを示していたのです。
- まさに神がそこにおられることを思わせる輝きです。
- 神が、私はここにいるとお示しになられたのです。
- そして神は天からマナを降らせ、イスラエルの民に食べ物を与えたのです。
→イスラエルの王ソロモンが神殿を建設しました。
- 神殿で神を礼拝するために必要な祭具を造り、神殿に配置し、
- 最後に契約の箱を神殿の一番奥の至聖所と呼ばれるところに設置しました。
- 作業を終えた祭司たちが神殿から出てくると、
- 雲が主の神殿に満ちたというのです。
- どこからともなく雲が現れ、神殿を覆ったのです。
- 雲のために祭司たちは神殿の中に入ることができませんでした。
- この場面について聖書は、こう述べています。
- 「主の栄光が主の神殿に満ちた」(列王記上8:10)。
→預言者エゼキエルは神の栄光を直接見た人です
- 彼がケバル川という川の畔にいた時、
- 天が開け、神の顕現に接したと彼は述べます。
- そして彼は見るのです。王座を。
- 大空の上に、サファイアのように見える王座の形をしたものがあります。
- 王座とは王が座る座席です。立派ないすです。
- ここでは神が座られる御座です。
- その場所はサファイアのような色をしていたというのです。
- 青く澄んでいる色の王座があったのです。
- そしてそこには人間のような姿をしているものが見えるのです。
- そして腰から上の部分は、琥珀金が輝いているのが見えたというのです。
- 琥珀色とは、黄色を帯び、透明および半透明な色です。
- 腰から下の部分は、火のように見え、周囲に光を放っており、
- その光を放つ様は雨の日の雲に現れる虹のように見えたというのです。
- これは「主の栄光の姿の有様であった」とエゼキエルは語っています。(エゼキエル1章)
→このような輝きに満ちた神の栄光は地上にいる私どもには見えません。
- しかし今述べたように神殿に満ちた雲として神の栄光が現れることがあるのです。
- 救い主が生まれる夜は、天使が現れ、
- 野宿をしていた羊飼いの周りを明るく照らし出しました。
→天使は、羊飼いたちに告げます。
- 「私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
- 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。
- 天使は救い主の誕生を告げます。
- そして「あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
- これがあなたがたへのしるしである」。
- 天使は乳飲み子を見つけるだろうと言います。
- その乳飲み子の存在は、救い主が生まれたことのしるしだというのです。
→神は、時にしるしを見せるのです。
- そのしるし、それは神の栄光に他なりません。
- 奴隷の地エジプトを脱出したイスラエルの民をエジプトの王が軍隊を率いて追いかけてきました。
- イスラエルの民は海辺に宿営していました。
- 前は海、後ろからエジプトの軍隊が迫ってきます。
- 逃げ場がありません。またしてもイスラエルの民は不平を言います。
- 神はモーセに言うのです。
- 「私はファラオとその全軍を破って栄光を現す」(出エジプト14:4)。
- ファラオとは、エジプトの王のことです。
- モーセが杖を高く上げ、手を海に向かって伸ばすと海が二つに分かれます。
- 海が二つに分かれ、真ん中に道ができます。両側は水の壁です。
- イスラエルの民は海の中に現れた道を歩いて行きます。
- エジプト軍が追いかけてくると水の壁が崩れ、海は元に戻ります。
- エジプトの軍隊は水におぼれて死んでしまいます。
- かくしてイスラエルの民は、エジプトの軍隊から救われます。
- 神は言いました。
- 「私はファラオとその全軍を破って栄光を現す」。
- 海が分かれるという奇跡、それによってエジプト軍は破れ、神が勝利しました。
- この奇跡、それは神の栄光の現れなのでした。
- 信仰の目で見る時、神がここにおられ、神がエジプト軍と戦って勝利したことが分かります。
- 信仰の目は、そこに神がおられ、働かれたことを見るのです。
- 信仰の目は出来事の背後に神を見るのです。
- ここには、神ご自身が放つ輝きはありません。
- その代わりに、神の栄光の輝きが、人間の心に刻みつけられるのです。
- 神は私たちのためにすばらしいみ業をしてくださったという感動が、
- 人間の心に刻みつけられるのです。
→イスラエルの民はやがて約束の地を目の前にするところに到着します。
- あとは約束の地に入り、そこの土地を手に入れればよいだけです。
- ところが偵察隊が悪い報告をもたらしました。
- 「約束の地に住んでいる人たちは体が大きく、強そうな人たちである。
- もし戦えば、剣で殺され、女・子供は奪われるだろう」。
- この報告を聞いたイスラエルの人々はまた不平を言うのです。
- ヨシュアは、我々には神がついておられるから勝利できる、行こうと民に言うのです。
- しかしおじけづいた民は前進しようとはしません。
→その時、神は言うのです。
- 「私は生きており、私の栄光は全地に満ちている。
- 私の栄光、私がエジプトと荒野で行ったしるしを見ながら、
- 十度もわたしを試み、
- 私の声に聞き従わなかった者は誰一人、
- 私が彼らの先祖に誓った土地を見ることはない」。
- 神はイスラエルの民が困難に陥る都度、奇跡を起こして助けられたのです。
- 神の栄光をイスラエルの民は見たのです。
- それなのになお神に信頼しない者たちに神はあきれ果て、怒られたのです。
- そして怖じ気づいた者たち、神に信頼して前進しようとしなかった者たちは、約束の地には入れませんでした。
- 神のなさった業、それは神の栄光なのです。
- 信仰によって神のみ業を見、神の栄光を感動として心に刻むことが大切です。
- あなたも神の栄光を何回も見て、その感動を心に刻んでこられたのではないでしょうか。
→そしてイエス・キリストの十字架です。
- 十字架にかけられる直前、主イエスは言いました。
- 「人の子が栄光を受ける時が来た」(ヨハネ12:23)。
- 十字架につけられたイエス・キリストの姿は栄光に輝くというものではありません。
- 見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい姿もないのです。
- 見る者に感動を与えるわけではありません。
- しかし私どもは、信仰によって栄光に輝くキリストの姿を見るのです。
- 愛と憐れみに満ちたイエス・キリストの姿を見るのです。
→16節、羊飼いたちは飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を捜し当てました。
- そして羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせました。
- 18節、それを聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思いました。
- 20節、羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話した通りだったので、
- 神をあがめ、神を賛美しながら帰って行きました。
- ここの「あがめる」という言葉、これは「栄光を現す」という言葉です。
- 羊飼いは、神をあがめた、言い換えると、神の栄光を表したのです。
- 神をあがめる、神をほめたたえる、これは神の栄光を現すことなのです。
- 人の口を通して、神がすばらしいお方であるとたたえられるからです。
→人間が神をあがめ、ほめたたえる行為は、神の素晴らしさをたたえることであり、
- 神の栄光を現すことになるのです。
- 神の栄光を現すものが三つあります。
- 第一に、神の栄光は神ご自身が現します。
- 第二に人間も神を賛美することを通して、
- 神の栄光を現すことができるのです。
→そして神の栄光を現すものがもう一つあります。
- それは「自然」です。詩篇19篇にこうあります。
- 「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す」。
- 夜空に輝く星の美しさ、夕焼けの美しさ、これらは世界を創造した神の偉大な力を示しているというのです。
- そこに神の栄光の輝きを見ることができます。
- 最近は、人間の体の精巧さ、神秘さが紹介されます。
- それを見ると、人間、これは神の業に他ならないと感じます。
- 人間の肉体の素晴らしさ、これも神の栄光を現していると言ってよいのではないでしょうか。
→神は私たち人間を愛し、様々なみ業を行い、恵みを与えてくださいます。
- 私たちは日常生活の中に神の働きを見ます。神がご自身の栄光を現されます。
- 私どもは、感動をしてそれを心に刻みます。
- 私どもは、神の恵みを感謝し、神をたたえ、神を崇めます。
- そのようにして私どもも神の栄光を現します。
→さらに、私たちが神を崇める時、私たちは、神の御心に従うようになります。
- 神の御心に従うことを通して、神は素晴らしい方であると神の栄光を私どもは現すのです。
- あなたはなぜ、神に従うのですかと問われると、神さまがすばらしいお方ですからと答えるのです。
→そこでこう言われます。
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」(コリント一6:20)。
「語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです」(ペトロ一4:11)
- 神がご自身の栄光を現し、私どももまた神を畏れ敬い神の栄光を現します。
- この時、天使の歌った賛美が成就します。
「いと高きところには栄光神にあれ、
地には平和、み心にかなう人にあれ」。
祈り
憐れみと慈しみに富みたもう父なる神、あなたをほめたたえます。
あなたはこの世界に救い主を送ってくださり、一人でも多くの人が救われることを願っておられます。あなたの救いを感謝します。
私どもが、あなたの栄光を仰ぎ見つつ、あなたの栄光を現す者とならせてください。
世界中の人々が、あなたの栄光を仰ぎ、あなたを畏れ敬いますように。
そしてこの地にあなたが与えてくださる平和が満ちるように祈ります。
混迷に満ちたこの世界を顧み、罪に支配されて生きている者を憐れんでください。
全世界において救い主イエス・キリストがほめたたえられますように。
イエス・キリストの御名により祈ります。