クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝、カーネーションという連続ドラマを見ている。今朝、主人公がこんなことを言っていた。年を取るということは奇跡を行う資格を得ると言うことだ。若い人が走り回っても誰も驚かない。しかし百才の人が走り回れば、誰もが驚く。それは奇跡だ。年老いた人のすること、それは奇跡になるという。考えさせられる台詞だった。


 年老いた信仰者が、信仰を持って生きる幸いを語る、それはまさに奇跡なのだ。年老いて私は何もできないと嘆きがちだが、信仰を持って生きる幸いを語ること、それは奇跡なのだ。誰も年老いたいと願わない、年老いることを恐れる。そのような人々に向かって、信仰に生きる幸いを語る、それは奇跡。年老いた人は何と言っても、長い人生を生きてきたという若い人にはない経験がある。その経験を通して、信仰に生きる幸いを語ることには値打ちがある。
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タチツボスミレ(時期的には咲くのは早い。日当たりがいいので咲いたのか)


 士師記のギデオンの物語を読んだ。神はギデオンを立て、イスラエルを苦しめるミディアン人と戦わせる。イスラエルの戦士は三万人いたが、神はその中から三百人を選ぶ。三百人で戦うのである。その三百人は戦う備えのある人たちであった。信仰の証しをする用意のある人がいれば、老いた人も若い人もその用意があれば、伝道の戦士となり得ることを思う。人数の多少が問題なのではない。戦うのは神である。戦士をそろえ、伝道の戦いに挑む意志があるか否か。それが問題だ。


 士師記のサムソンの物語も読んだ。サムソンは愛する女性がしきりに願うその熱意に負けて自分の弱点を知らせてしまう。イエス様も、執拗に祈ることの大切さを教えている。神に戦っていただくようにしつこく祈る、これが我々には欠けている。聖書を読み、思いめぐらし、教えられる、それが信仰の原動力だ。聖書を読まずして信仰によって立ち上がることはできないだろう。