クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝6時過ぎに家を出て、新潟に行きました。3年前に亡くなった伯母の法事に出席するためでした。中学生の時、夏休みに伯母の家に遊びに行きました。従姉妹のK子さんとは親しくなりました。3年前の伯母の葬儀の時、いとこが勢揃いした感がありました。これで会うのは最後かも、と挨拶して分かれましたが、また会うことができました。今度は、本当に会うのが最後かも知れません。おじやおばは皆亡くなりました。当たり前ですが、いとこたちも皆老いました。皆、場所は違うけど、同じ時代を生きてきたのだなと思います。まだ若いとき、いとこ会を開き、集まったことがありましたので、懐かしく思います。ちょっと驚いたのは、お経を唱え終わり、これで終わりですと僧侶の方が告げた直後、お布施はどうしますか、今受け取りましょうか、それとも後にしますか、と続けて言われたのには、驚いた。親切のために言ったのかも知れないが、ちょっとあからさまな気がした。

新潟市内 正福寺

 法事を終えて、東京経由で名古屋です。教区総会に出席するため。教会会議です。新幹線の<のぞみ>に乗りましたが、早いです。東京から名古屋まで一時間半。窓から眺める外の景色は飛んでいくかのように過ぎ去っていきます。新潟から名古屋まで、4時間弱。嘘みたいです。教区総会は、第一日目は遅刻しましたが、出席することができました。総会が終わり、宿泊するホテルまで10分ほど、繁華街を歩きましたが、客引きの男性が沢山いました。金沢の繁華街の片町にも客引きの男性がいますが、名古屋は沢山でした。<誘われて飲みに行きそうに思われて心外だった>とは翌日、朝食の席を共にした牧師の言葉。でもまあ男なら、貧相な格好をしていなければ誰でも誘われると思う。僕も声をかけられたが知らんふり。


 翌日、教区総会が終わった後、名古屋駅で友人と待ち合わせをした。幼なじみの友人で、彼の結婚式に出席して以来の再会。30数年ぶりの再会。一時間ほど喫茶店でおしゃべりをして別れた。彼もまた、同じ時代を生きてきたのだと思わされた。名古屋から特急の白鷺に乗って金沢へ。車中で、教区総会の閉会礼拝での説教について思い巡らした。そして僕の好きな賛美(オーストラリアにあるヒルソングチャーチの賛美CD)を聞きながら、気持ちが高揚するのを感じながら、神が祈りを聞いてくださったことに気づいた。牧会年数に限りのある中、何に力を入れて牧師の務めを果たしたらよいのか祈ってきたが、その答えを与えられた。徹底して福音を伝えること。律法的な説教ではなく、福音を伝える説教をすること。テサロニケ教会でパウロが説教したとき、聖霊による喜びをもって、テサロニケ教会の人たちは、パウロの語る説教を神の言葉として受けとめた。聖霊による喜びをもって受けとめられる説教をすること。


帰宅したとき、夜の祈祷会が始まっていたが、挨拶をして休ませてもらった。