クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


オオケタデ


 ある牧師会で説教演習をしている。そこでは遠慮のない批判がなされる。この説教は、

  • 独り言の説教だ。
  • 一方的に語るだけの説教、そういう文体。
  • 「〜です」{〜です」と繰り返されると、聞いていて辛くなる。

僕が受けた批判です。説教は聞き手がいます。説教には聞き手との対話という側面があります。


 そこで説教を書き終えた後、文体をチェックします。{〜です」と繰り返しが続くところを言い換えることができないか、考えます。そうしているうちに気がついたことがありました。理屈を語っていて、文字通り<説教>になっていて、自分の気持ちがこもっていないと。自分が語る一つの文章が、喜びを伝える文章なら、喜びが伝わるような表現を採らなければならない。もし悔い改めを求める文章なら、そのような口調、表現をとらなければならない。いや、聖書の言葉を自分が受けとめる時、頭での理解だけ出なく、己の心はどう受けとめたのかに敏感になり、それを伝えること。今朝、説教原稿の推敲をしながら、こんなことを思わされた。神さまの導きと受けとめ、感謝。