クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 特定秘密保護法案が参議院を通過した。連日、新聞でも反対のデモの様子が報道されたし、有識者の反対意見も報じられた。教会は、あるいは日本基督教団は、この問題に対して、どういう対応をしているのか、と尋ねられることがある。こういう質問をする人は、どんな意図で質問するのだろうかと思うこともある。


 政治的な事柄に対しては、教会員は、同一の見解を持つとは限らない。それ故、一つの立場に立つ行動を教会で決議することはしない。異なる意見の人を排除することになりかねない。だから、政治的な主張は、選挙において、これを表すというのが僕の考え。


 今日のニュースで、安倍首相が記者会見を開いていた。その中で、国民が抱く疑問点にはこれから丁寧に説明していくと述べていた。法案を通す前になぜ、疑問点に丁寧に答えないのか。政治姿勢に大いなる疑問を感じる。丁寧に説明して、国民の疑問を可能な限り、払拭してから採決をすればよいのにと思う。国民の理解を得ることよりも、法案を通すことの方が優先していたのだろう。国民への説明をていねいにするというのも、単なる口約束でしかない。

民は之れを由らしむべし。之れを知らしむべからず。

これは論語にある言葉、とのこと。この言葉は本来の意味と違って用いられることが多いとのこと。つまり、民は、支配者に頼るようにさせ、支配者のすることをいちいち説明する必要はないという解釈は、孔子の意図した意味とは違うらしい。でも自民党の政治手法を見ていると、権力者の、民を軽視する傲慢を示す言葉として、ふさわしいように思う。


 自民党という党の本質は何なのか。権力志向が本質なのだろうか。そんなことを考えさせられるこの頃である。