今、教会の朝の祈祷会では、テモテへの手紙一を読み始めています。夜の祈祷会はヨハネ福音書です。自分の感性がもっと鋭ければと思うことは、この手紙を読むときに、著者パウロがテモテという弟子をどんな風に見ているのか、そしてどんな思いで忠告を与え、導こうとしているのか、テモテという弟子は、どんな人なのか、それを読み取りたいということです。手紙に書かれていることの奥に見えてくるパウロという人間、テモテという人間を読み取りたいのです。人間の息づかいを感じ取りたいです。
<眼光紙背を徹す>という言葉があります。本を読むとはこういうことかと、この言葉を我がこととして、身近に感じる次第です。
↑我が家で作った干し柿
金沢では、干し柿を自分でつくる人が多い。ほがらか村というところで、野菜を買うことが多いのだが、秋に、柿が山盛りになって売っていて、そこには、
これは渋柿です。
との注意書きが書かれています。干し柿を作るために売られているんです。教会員のSさんが干し柿を作っているので、妻も倣って干し柿を作りました。甘くておいしいです。