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隠退牧師 holala によるブログ

異教国日本


 安倍晋三首相が靖国神社に参拝しました。国家の指導者としての見識を疑わせる行為です。アメリカ政府も、安倍首相の参拝に失望したと声明を発表しました。安倍首相の行動は、この国を支配している精神構造を浮き彫りにしているように思えます。


 自民党憲法改正草案があります。その前文の第一段落は日本国がどういう国家であることを述べています。文章の主語は<日本国>です。

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立によって統治される。


 第二段落は、大戦後の日本の歩みについて簡単に述べていますが、大戦でアジア諸国に侵略したことには触れていません。そして先の大戦による荒廃を受けた、と自らを被害者と位置づけています。

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

 ここでも文章の主語は<我が国>です。平和主義といいながら、アジア諸国に侵略した事実に触れず、侵略行為がなかったかのように平然と述べる平和主義とは何か、と疑問を感じざるを得ません。日本がアジアに進出した行為について、<これが侵略であるか否かは、歴史家の判断に任せる>と安倍首相は語っていましたが、これは欺瞞です。自分の国に外国の軍隊が攻めてきて支配すれば、誰だって侵略されたと考えます。靖国神社に参拝し、中国、韓国の反発を招く行動をして、<世界の平和に貢献する>とどうして言えるのでしょうか。


 第三段落は、日本国民が主語になっていますが、日本国民は国家に仕えるという位置づけです。

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

国民は国家の形成に努力するすべきことが定められています。国家の形成が一番大切なのです。国民の基本的人権を尊重するのは国民だというのです。国民の基本的人権を尊重するのは国家です。国家がその政治において基本的人権を守るのです。国民は<日本国>に仕えるという位置づけなので、国民の地位は軽んじられているのです。国民は国家に仕えるに過ぎない存在なのです。

第四段落も主語は、日本国民ですが、国に仕えるという位置づけです。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学振興を通じて国を成長させる。

我々、つまり日本国民は、国を成長させるために尽くすことが求められています。美しい国土と自然環境を守ることは語られていますが、国が国民の生活を守ることについては全く語られていません。第三段落で、家族や社会が互いに助け合うと書かれているだけで、国が国民の生活を守るという国の役割は考えられていないかのようです。


第五段落も主語は日本国民ですが、さらに重要なことが宣言されています。

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

憲法の制定の目的は国家の継承にあります。日本国民がこの憲法を制定する、とあります。


 聖書に立つなら、自民党憲法改正案の前文は、<日本国>を神とする国家をつくると宣言し、国民は国家という神に仕える信者という位置づけです。この前文は日本を、<日本国>を偶像と崇める国家にすると宣言しています。この憲法を制定するのは日本国民ですから、この憲法に賛成するとは、自ら<日本国>という神に仕える信者になることを告白するようなものです。


 先の大戦<お国のために>という大義のために赤紙1枚で多くの若者が戦争に駆り出され、尊い人命が失われました。お国のために殉死した英霊を参拝するのは、突然でもなく、偶然でもなく、必然なのです。安倍首相は、偶像国家の大祭司として必要なことをしたに過ぎないのです。宗教行為なのであり、人からとやかく言われる筋合いではないと考えているのです。国民は国家のために奉仕するという精神構造は何も変わっていないのです。