クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

分かった、という思いが与えられた。


↑天神橋から浅野川 新年最初の散歩をした。


 元旦礼拝で、<平和を実現する>という説教題で説教をした。その中で教会と政治との関わりについて触れた。礼拝後、二人の方が説教の感想を短く話してくださった。一人の方は、こういう説教を聞くとは思っていなかったと語られた。そうだろうな、と僕も思う。説教の中で政治を語ることは注意をしなければならないと考える牧師は多い。うっかり政治を語ると、牧師の政治に関する考えを語ることになりやすく、それでは聖書に基づく説教とは呼べなくなる。感想を言われた方は、比較的政治を説教で語る教会での礼拝体験がある方なので、元旦の説教を聞いて、驚かれたのである。


 何が分かったのか。日本基督教団内で、政治活動、社会活動を主張する人たちに僕がなかなか共感できない理由である。僕は聖書に立たない議論には共感できないことに気づいたのである。御言葉に立つ主張か否かの識別が大事だ分かったのである。この年になって気づくなんて、との思いもあるが気づいてよかったと思っている。


 僕が学生の時、大学で学生紛争が起きた。1970年頃のことである。学生運動家と学校のあり方に問題を感じた学生は、ストライキを行い、授業放棄をした。授業させないためには、大学の建物を占拠し封鎖した。学生と学校当局との間で団体交渉が行われた。僕はその渦中に巻き込まれ、封鎖した建物の中で、同級生の議論の場に身を置いた。


 あの当時、学生の行動はどんどん先鋭化していった。そして<人間としてどう考えるか、どう行動するか>が議論され、行動が先鋭化し、僕はついて行けなくなったことがある。自分の信念の弱さを知らされた思いがした。先鋭化した行動に走った同級生の中には逮捕された人もいる。サークル活動の仲間には学校に来なくなった人もいたと聞いた。


 人間として考えるなら、こうすべきだろうという考えに抵抗する考えを僕は持ち合わせていなかった。先鋭化する行動から退くには、自分の信念のなさ、弱さを持ち出すしかなかった。その当時、僕はまだ信仰を持っていなかったが、社会人になって教会に行くようになり、あの時の議論には、愛がなかったことを思うようになった。ただただ正しい行動の追求は、先鋭化するのだった。ヒューマニズムは、恐ろしいと身をもって感じた。


 御言葉に立つ議論でなければ、命を賭けることはできない。御言葉に立つなら命を賭けることができる、と思っている。若い頃、死を恐れた僕は、<そのためなら命を捨てても構わない>と思えるようなことに生涯従事したいと心の中で願った。まだ信仰を持っていなかったが、その若き日の願いを神様はかなえてくださったと感謝をしている。