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自治体の長の責任

 原子力規制委員会は13日、再稼働に向け審査中の10原発のうち、九州電力川内(せんだい)原子力発電所(鹿児島県)の安全審査を優先的に進めることを決めました。審査で規制基準を満たせば、再稼働へ大きく事態は動きます。その時に注目すべきは自治体の長の判断です。再稼働には自治体の長の許可が必要です。


 東日本大震災が起きる前までは、原子力発電は安全であるとの安全神話が通用していました。しかし大震災による福島第一原発の事故により安全神話は崩れました。今後原発を再稼働する場合、万一事故が発生したとき、想定外という言い訳はできなくなります。自治体の長は、再稼働を承認するか否かの決断に迫られるわけですが、慎重に判断すべきです。


 原子力規制委員会が示す審査基準をクリアしたので再稼働を承認したとします。万一福島のような原発大事故が起きた場合、自治体の長の責任はどうなるのでしょうか。


 第一に原子力規制委員会の審査基準を満たしていたといって、責任を回避することはできないでしょう。想定外のことは起こりうることを私たちは今回の福島原発の事故で学びました。それ故、責任を免れることはできません。


 第二に、事故が将来起きたとします。その時に自治体の長は再稼働の決断をした自治体の長とは異なる人物です。自治体の長は将来起きるかも知れない事故に対して責任を負うべきなのでしょうか。わたしは負うべきだと考えます。将来の住民に対する責任があると考えます。


 第三に原発事故の責任を負える人はいません。福島原発の事故において、東京電力は責任を負うことができないでいます。政府から財政的な支援を受けています。つまり原発の事故に対して責任を負える人はいません。自治体の長は事故を起こす当事者ではなありません。しかし原発の再稼働を許可しています。許可したからこそ、事故が起きるのです。



 原発の再稼働を認めなければ、事故による責任を負うことはありません。その場合はどのような責任を負うのでしょうか。原発により雇用が生まれ、自治体には交付金が与えられます。再稼働を拒否した場合、雇用が失われ、財政基盤が弱くなることに対してどう責任を負うのか、どう対策を練るのかが課題となります。


 再稼働を認めて果てしない責任を負うのか、それとも今、雇用と財政の安定化のための責任を負うのか。私は後者を選びます。この責任は自治体の多くの職員や議員達の協力を期待できます。しかし果てしない責任を負うことはできません。それを負うことは無責任となります。神は、自分が負いきれない責任を負うことは罪だと言われると思います。聖書は、人がいかに生きたか、神の裁きを受けると語ります。原発の置かれている自治体の長が神に間違った決断をしたと裁かれぬことを願います。


 そして自治体の住民も、長を選んだ責任があります。安全神話が崩れた今、原子力発電所のある住民もまた、考える時を迎えているのではないでしょうか。将来に対する責任、自分の子供達に対する責任。


 今、石川県は知事選の真っ最中です。石川県には志賀原子力発電所があります。原発に対してどういう態度を取るのか、明確な姿勢を持つ人を私は選びたいと思います。