クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 東日本大震災が起きて三年目ということで、テレビ、新聞で色々な特集を行っていました。この大震災をどう考えるのか、という問いがあります。また神がいるなら、なぜこのような災害が起きるのか、という問いもあります。後者の問いについての僕の答えは簡単で、自然現象で神は関係がない、です。今日の天気がどうなるのか、明日の天気がどうなるのか、神を持ち出す人はいません。それと同じです。


 作家の吉村昭氏が『三陸海岸津波』という本を著しています。興味深い本です。この本の紹介は、ここからの引用です。<東北地方太平洋側にある三陸海岸沿いの町をたびたび襲った地震・大津波について、自身の取材によって明らかになった事実を記したルポルタージュである。内容は、明治29年の大津波昭和8年の大津波チリ大地震津波の3部構成である。三陸海岸各地の大津波を受けての被害状況、人々の行動を克明に記録している>。


 この大震災をどう受けとめるのかという問いがあります。今、この時点での僕の答えはこうです。大震災後の復興が思うように進展していません。これまで経験したことがないほどの大災害を受けて、いかに復興したらいいのか、人間は全く無力であるということです。無力ですが、復興のために力を尽くさなければなりません。自分は無力なのですから、いかにしたらよいのか、徹底して<聞く>ことです。政治家は、被災した自治体の要望、専門家の意見、被災者の声に謙遜に聞いて、対策を考えるということです。人間は己の無力を体験したとき、謙遜にならなければならない、これが今回の大震災の教訓と受けとめました。


 ある牧師が、「神がいるならなぜこのような災害が起きるか」と人は神に問いかけるが、実は、神が我々に問いかけているのだと語っています。私はこの意見に賛成です。未曾有の被災に直面して、己の無力に直面して、いかに復興を考え実践していくのか。謙遜に他者の声に耳を傾ける、これが教訓です。原発事故の余りの被害の大きさ(多くの人の人生が犠牲になる)を思い、原発安全神話が否定された現実を踏まえると、原発を再稼働することは己の無力さを忘れる傲慢であると受けとめます。