クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

説教の後で

 今、金沢は咲くが満開です。今日は午後の集会がなかったので昼食後、桜を見に行きたいと思いましたが、気温は低く、天気も悪いみたいでためらっていました。しばらくして散歩に行くことにしました。卯辰山まで車で行き、そこから散歩です。すみれの観察と花見です。きれいなサクラを見た後、林道を歩き始めました。山菜があるのではと思いながら。でも突然雹が降ってきて、戻ることにしました。散歩しながら、説教について妻と話し合ったりします。



 説教をしているとき、会堂には一種の雰囲気が生じます。集中して聞いてもらえているなと思えるときがあります.水を打ったような静まりがあります。余計なものが、雑念が全てどこかに吸い込まれて、聞くことだけに集中している雰囲気。そんな雰囲気の中で説教できることは喜びです。


 あるいは、どこか反発というか抵抗を感じるような雰囲気があります。聞き手が自分は責められていると感じての抵抗、反発があるのかも知れません。説教が律法主義的になり反発を生み出しているのかも知れませんし、悔い改めを迫られて抵抗しているのかも知れません。聞き手の思いはわからないので何とも言えませんが、そんな雰囲気の時もあります。


 私が説教の準備で心がけていることは、伝えるメッセージをはっきりさせることです。上田光正牧師は「私の説教論」と題する講演の中で、メッセージを15字以内で表現すると述べています。必ずしも15字以内におさまるとは限りませんが、一行で伝えたいメッセージはこれ、と明らかにするのが、説教準備のクライマックスです。それが決まると、導入を考え、説教のアウトラインを考え、原稿を書くことになります。