今週、月曜日に明日の礼拝説教テキストを読みました。ルカ福音書の24章1〜12節です。日曜日の朝、女性たちが主イエスの葬られた墓に行く物語は、四つの福音書が書いていますが、決して同じ事を語ってはいません。福音書それぞれに特徴があります。しかし自分の頭の中には、一つのイメージがあることに気がつきました。
ルカ福音書では、復活された主イエスが墓を訪れた女性たちに会うことはないのです。<復活された主イエスは女性たちに会いました、主は復活しました>と説教する思いでいたのですが、主イエスは登場しないのです。ちょっと面食らいましたが、聖書を何回か読んだとき、<信仰は聞くことから>が思い出されました。輝く衣を着た人が「あのかたは復活されたのだ」と語ったとき、婦人たちは主の復活を信じたのかどうか、墓での一部始終の出来事を婦人たちが弟子たちに告げたとき、弟子たちはたわごとに思い、婦人たちから聞いたことを信じませんでした。信仰は聞くことから、これが説教のテーマだと思いました。
土曜日の午後になって、ようやく、このテーマで説き明かしを行う見通しが立ちました。<福音宣言>という言葉があります。これはカトリックの晴佐久昌英神父の著書の題名なのですが、この言葉を説教のキーワードにしました。
散歩に出かけました。目は道端にすみれが咲いていないか探索しながら、頭では、説教の言葉を模索しながらの散歩。うれしいことに家に戻ったとき、頭の中では説教はできあがっていました。