クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 先月、教会員のM姉妹が亡くなりました。あまりにも突然でしたので驚きました。前日まで教会の集会に参加しておられました。肺炎を起こし、あっという間の出来事でした。この姉妹は、三年前2011年11月にご主人(教会員)を天に送りました。その後深い悲嘆に暮れる日々を過ごされました。頻繁に私に手紙を下さいました。慰めの言葉を見当たらず、返事を書くことに窮していましたが、ある時、宗教改革者ルターが、わが子を喪って悲しみの中にある人に書いた手紙を読みました。ルターについて書いた本の中の言葉で、孫引きですが、それを紹介しました。ルターの文章を姉妹はとても喜ばれ、私もほっとしたことを思い出します。ルター自身、生まれたばかりの子や10歳を過ぎた娘を亡くすという体験をしているそうです。


「あなたのご子息が世を去るという思いもかけない事態に、あなたがたに手紙を差し上げて何とかして強め励ましたいと思っています。しかし息子を亡くした父親、母親に向かって何の悲しみもないでしょう、何もなかったのですと言えようとは私には思えません。亡くなった方を思って光が失せたという思いで悲しんでいらっしゃると思います。どうか泣きたいだけ悲しみ、泣いてください。しかし、そのようにして悲しみ、泣いた後で、ふたたび神を見上げて、神からの慰めを受け取ってください。ご子息もキリストにあって眠るという安らかな終わりを迎えたのですから。そのことを神に感謝する心になってください。キリストのもとでご子息が永遠の休みに入っておられるということを疑わないでください」(『マルチン・ルター 生涯と信仰』徳善義和著より)。


 三ヶ月ほど経って教会員である別の姉妹が「礼拝に参加しませんか」と誘い、車に彼女を乗せて一緒に礼拝に来られました。この姉妹も以前夫を交通事故で亡くしたという悲しみを持っておられる方で、夫を喪う悲しみを共有できる方でした。


 この時から、M姉妹は礼拝に、そして祈祷会に休まずに出席するようになりました。「わたしはいつも夫の後に従っていました」を語っておられましたが、今度は自主的に一人の信仰者としての確かな歩みを始められました。教会に礼拝のテープが保存されていますが、一本のテープを何度も聞き、保存されている大半のテープを聴かれ、私が語った説教に励まされたと語られました。それほどに説教を聴いてくださるとは、牧師冥利に尽きると思いました。「私はいつ死んでもいい」「私は今が一番幸せ」が口癖でした。「本物のクリスチャンになりたい」と言っておられたと別な人から聞きましたが、本物のクリスチャンになって神さまのもとに帰られました。寂しい思いがありますが、私も神の国を目指して一歩ずつ歩んでいきます。



→アオイスミレ 2015/3/15

→アオイスミレ 2015/3/15