クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 21日の火曜日、葬儀のために東京に行きました。初めての北陸新幹線で、何となくうれしい。前に牧会していた教会の女性信徒の方の53歳の長男の方が亡くなられての葬儀です。この姉妹には子供たちも世話になり、親しくしていただいた方なので、少しでも力づけることができれば、と出かけました。山で遭難して亡くなられたのです。息子が亡くなったわけで、母親としては本当に辛いことだと思います。こんな時、司式をする牧師はどんな説教をするのだろうか、との職業的関心が湧いてきます。自分だったら、どう説教するのだろうか、と思わざるをえません。


 私自身、小学生の女児を交通事故で亡くした両親から葬儀を依頼されたことがあります。その方は信者ではありませんでしたが、慰めが欲しくて教会に葬儀を依頼したのかも知れません。また教会員で自死した方の葬儀も行ったことがあります。老いた親が亡くなった場合とちがって、神さまがいるなら、なぜこのようなことになるの? との疑問を遺族の方は抱きますから、葬儀の説教にはむずかしいものがあります。ひたすら導きを求めて祈るしかありません。


 今回は葬儀の直後、弔辞が述べられました。故人が親しくしていた年配の牧師の弔辞でした。内容的には、葬儀の説教と言ってもおかしくないと思いました。故人との関わり、思い出を語られ、最後に「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」のヨブ記を引用し、「主が取られたのです」と明言されました。そして<主が取られたからこそ、慰めがある>とはっきり語られました。大胆な発言だと思いました。

↑「スミレ」という名のスミレ

一昨日北陸学院小学校で礼拝奉仕をしました。それが終わって校内のグラウンドにすみれ散策。グラウンドの端っこに毎年すみれが咲きます。最盛期を過ぎていましたが、沢山咲いていました。香りはありません。