先日、福井県にある高浜原発の再稼働差し止めを求めた仮処分申し立ての裁判に対して「再稼働を認めない」との判決が下されました。他方、鹿児島県にある川内原発については、仮処分申し立てが却下されました。高浜原発の再稼働を認めない判決の中で、裁判長は「人格権」と語りました。すぐれた判決だと思います。
人は神さまによって創造されたと聖書は伝えます。その人間一人一人を神は愛しておられます。人間の行う営みで、一人の人間を軽視するものは神の前に許されないと私は考えます。罪ということです。その意味で人格権を語ったことはまことに適切でした。
福島第一原発の事故のために住むところを失い、故郷を失った人たちが沢山おられます。政府、電力会社は、原発は安全だと主張してきました。しかし原発事故が発生し、そのために生活を奪われ人たちが大勢います。まさに人としての人格権を奪われたのです。それなのに、電力会社、政府は原子力規制委員会の安全審査をクリアしたからと再稼働に走っています。企業利益優先、人格権の軽視です。
判決では、原子力規制委員会の安全審査基準に問題ありと指摘しました。また原子力規制委員会の田中俊一委員長自身も、安全審査基準をクリアしても安全を保証したわけではない、と明言しています。企業というのは、国民の信頼を得てこそ活動できるのであり、国民の利益を無視しての活動は許されないと思います。
これまで原発の差し止めを求めた仮処分申し立ての裁判は、ほとんど原告敗訴でした。今回、川内原発については敗訴でした。裁判所が異なる判決を下すのは統一性の欠如として問題です。
これまでは行政の判断尊重という観点から、裁判では仮処分申し立ては認められませんでした。しかし福島での原発事故が起きました。安全神話が崩れました。裁判官は、裁判官としての判断、自分で考える判断が求められています。その意味で、高浜原発の再稼働を認めない判決を出した裁判官に私は敬意を表します。
司法・行政・立法は、三権分立なのですから、裁判官は行政の判断尊重をやめ、国策だからと言って追随するのをやめ、きちんと判断してほしいものです。