クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 今週の月曜から火曜にかけて日本基督教団教誨師研修会に参加しました。東京で開催されました。写真にあるように立派な施設です。沢山の研修を同時に行える研修セーターで、外国人の姿も沢山見受けられました。後ろから見たら金髪の若い女性たちを追い越したら、ハングルが聞こえてきたときはびっくりしました。食堂で見たら、韓国人でした。

国立オリンピック記念青少年総合センター


帰りに『教誨師』(堀川恵子著)を購入しました。今日、読み終えました。これは死刑の確定した受刑者に対する教誨をした僧侶の経験をインタビューしてまとめられたものでした。自分が死刑に処せられるのを待っている人に何を語るのか、困難な課題に直面した僧侶の述懐が記録されています。また死刑囚の告白も語られていて、興味深いですが、重い内容でした。教誨に対する自分の態度を吟味するように迫られました。


びっくりする言葉もありました。

「真面目な人間に教誨師は出来ません」。


 内容とは別に目に留まった言葉がありました。『倶会一処』。<くえいっしょ>と読むそうです。初めてこの言葉の読み方を知りました。この言葉は墓地で時々見かけるのです。Wikipediaによれば、次のように解説されていました。

浄土真宗では、念仏の信仰に生きる人は、この世の命が終わるとただちに浄土に生れるとし、そこで墓碑に「倶会一処」と刻むことがある。それは、先に浄土に往生している先祖たちと、共に同じ浄土に生まれたいと思う心持ちを表したものであるし、また同じ浄土へ往生させていただくことを喜ぶ姿でもある。

 私たちが天国で親しい人との再会を待ち望むという考えは、浄土真宗の影響があるのかも知れないと思いました。聖書には、<親しい人との再会>は明白な形では語られていません。私たちが復活して神さまの前に出るなら、そこで親しい人と再会することは、考えることはできます。