クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 先週、教誨師研修会で東京へ行きました。研修会が終わって帰りの新幹線に乗るまでに時間があったので、神田神保町に行ってみました。古本屋街で有名なところです。大学卒業後に就職した会社がここにありました。小学館ビルの九階にオフィスがありました。今、どうなっているのか、と見に行きました。


 年をとった今、私はチャンスがあればかつて自分が生きていた場所を見てみたくなります。昨年の秋、大学の同窓会がありました。あの時は、大学の構内を歩き、また少年時代を過ごした町を歩いてきました。今回は、仕事をしていた町です。オフィスのあったビルディングは、ありませんでした。ビルの解体が終わり、これから新しいビルを建築するようです。

↑ビルの解体後


↑このビルディングの九階で働いていました。ネットから拾った写真です


 インターネットで調べたら、わたしが勤めていた会社は今も存在し、IT業界なので、仕事内容も大きく変貌したみたいです。牧師にならず、あのまま会社に勤めていたら、僕は変化に追いついて行けたのか、とぞっとする思いを抱きます。


 それから神保町の交差点の角にある岩波ブックセンターに寄りました。硬派な本が並んでいますが、私は岩波文庫で、『文語訳新約聖書』『塚本虎二訳福音書』を買いました。


 それから<さぼうる>という喫茶店です。昔からの喫茶店で今も営業していることに驚きました。<さぼうるを知らずして、神保町の喫茶店を語るなかれ>というタイトルの文章がネットで見つかりました。実はサラリーマンとして働いていたとき、同僚とこの喫茶店でおしゃべりしたことがあります。仕事を中断して一服したのだと思います。その時初めて僕は、死を恐れるのは自分だけでないことを知ったのです。そ〜うなんだ、僕だけはな〜いんだ、と驚きと安堵を覚えたことを思い出します。自分だけが悩んでいると思い、弱い自分を情けなく思っていたのです。小さな出来事でしたが、私の人生で忘れられない出来事でした。

 御茶ノ水の駅に向かう途中、錦華小学校の前を通りました。今は千代田区立お茶の水小学校となっていました。錦華小学校に入学し通ったのは一年の一学期だけでした。今回初めて気づいたのですが、夏目漱石がここで学んだとかで、碑がありました。

 昔のことを思うのは、年寄りの懐古趣味かもしれませんが、自分は神さまに生かされてきたのではないか、と自分の心に言い聞かせているのかもしれません。


 僕は世の中の人々がよく、「自分は生かされている」と言うのを聞くと、突っ込みを入れたくなります。「誰に生かされているのって」。