クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

牧師が引退するとき(1)


 2014年10月末に東京へ行きました。それは大学の同窓会に出席するためでした。大学を卒業して初めて出席する同窓会です。同窓会の案内は前からいただいていましたが、週末に行われていたので出席しませんでした。今回は思い切って出かけました。


 帰りに東京のCLC(キリスト教書店)に寄りました。すると季刊ミニストリーという雑誌があり、牧師の"引退”を特集していました。迷うことなく購入し、読みました。そこには教団によって引退の年齢が決められているところがあり、70歳、75歳とありました。わたしの属する日本基督教団には、特に定めはありません。
 その時まで、引退を具体的な事柄としては考えていませんでした。たしかに引退するときは必ず来ます。ある牧師が「70歳で引退しようと思っていたが、73歳で引退した」と語られたことが頭の中にありました。でもまだ70歳になっていません。私は67歳でした。

 私にとっては引退でも、教会にとっては牧師の辞任です。牧師が辞任すれば後任の牧師を求めることになります。ですから教会にも備えが必要となります。少なくとも一年前には辞任を申し出る必要があります。辞任を申し出れば、具体的に後任の牧師を求めることになります。すぐに決まるわけではありません。
 実は金沢元町教会は牧師を招聘するにあたり、どのような牧師を招くか、条件を出しています。つまりどのような牧師を招くのか、長老会が話し合っているのです。私自身招聘されたわけですが、その時の条件は、三つありました。

  • 福音を語ることができること
  • 教会形成ができること
  • 求道心があること

 そこで私は思いました。長老会はどのような教会を形成したいのか、それをはっきりさせることも必要ではないか。つまり牧師に対してだけ条件を出すのではなく、自分たちの意志もはっきりさせるべきであると考えました。つまりどのような教会を形成したいのか、それを明らかにし、この志しを受けいれ、尽力してくれる牧師を求める姿勢を明らかにするのです。すると長老会で、考えをまとめるにも時間が必要となります。それで私は、「牧師の引退に備える」と題して、どのような教会を目指すのか、長老会で懇談することにしました。順番に長老に発題をしてもらうことにしました。2014年12月の長老会から懇談を始めました。そしで毎月の長老会で懇談を続け、2015年9月の長老会で、2017年3月末をもって金沢元町教会を辞任することを申し出ました。


 実はわたしが金沢元町教会に赴任した後、ある教会員が言いました。「普通の牧師ならだれでもよかったの」。これはその方の思いから出た言葉ですが、この言葉の背後にどんな思いがあるのかを知ったのはずっと後のことでした。


金沢市内「大野からくり記念館」の展示から。
孫たちと一緒に出かけました。

↑手元にあるレバーを引くと怖い顔になります。