クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

牧師が引退を考えるとき(3)

 引退を考えたとき、心が揺れ動きました。


 人は若いときは、獲得する人生を生きるように思います。伴侶を得、子供を得、家庭を営みます。仕事を得、責任を与えられ、生き甲斐を得ます。でも老いるということは、失うことであることを実感するようになりました。体力を失い、筋力も衰えました。腕立て伏せができなくなりました。引退によりこれまで与えられてきた務めを失います。引退後は別な地域に転居することになりますから、金沢での慣れ親しんだ生活、共に信仰生活をした人たちとの交わりを失います。寂しさを感じます。


 定年を迎えた教会員は何人もいます。彼らは仕事から離れますが、住居は変わらず、教会も変わらず、生活の変化は一部です。しかし牧師は教会を辞任した後、アブラハムのようにこれまで慣れ親しんだ地を離れ、知らない土地に暮らすことになりますから、生活上の変化は尋常なものではありません。年を取ってからの環境の変化にしんどさを覚えます。慣れるのも気苦労が多いことと思います。妻は新しい生活が楽しみだと平然と語ります。


 あらためて人生は旅であることを知ります。一方で神の国を目指す旅をするように召されていることを思います。他方で、この旅の中で伴侶を失い、健康を失い、さらなる喪失に直面することを思うと不安を覚えました。ただきちんと信仰をもって向き合う覚悟ですが、引退という現実が迫ってきて、戸惑いを覚えたことは確かです。牧師として働いているとき、伴侶を喪うとか、健康を失うとかの心配は皆無でした。目先のことに追われて、将来など考える余裕がなかったのかもしれません。


↑医王山の頂上付近にある。弁当持参で昼食。自然の中に身を置く。蝶々が何種類か飛んでいてうれしく思う。