クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

妻の母の死

 暮れに妻の母が亡くなりました。教会で葬儀を行いました。2日に前夜式、3日葬儀。金沢元町教会の教会員でもあるので、私が葬儀の司式をしました。この母は、10年前に長年住んだ長野県を後にして、我々夫婦のもとに来ました。10年間母と共に暮らしました。最近の2年間は、春日ケアハウスという施設で母は過ごしました。

 その2年間、妻と私は定期的に見舞いに行っていました。最後の一ヶ月は、妻は毎日母のもとを訪れました。住居が別であったので、生活空間の中から急にいつもいる人がいなくなったという感覚はありません。でも母を送った後、死が間近に迫ってきているという感覚を持ちました。老いるとは、死に追いかけられながら生きることなのだと思わされました。


 その施設から母の荷物を全部引き上げましたが、部屋から出てエレベータに乗るまで、居住者の生活空間を通りますから、在園者はあの部屋にいた人は亡くなったんだと意識したはずです。荷物を台車にのせて何度も往き来しました。そんな意識を与えて申し訳ないのかなと思いました。しかし老いを生きるとは、死を意識して生きることでもあるので、部屋にいるお年寄りたちは、普通の光景として、往き来している僕の姿を見ていたのだろうと思いました。