クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 娘の出産応援の区切りを迎えました。妻が娘の家に泊まっての食事(夕食、朝食)の応援が終わり、妻はわが家に戻ることとなりました。週末は食事の応援をしますが、妻は一日わが家で過ごす生活に戻りました。二日程家でのんびり過ごしたので、山に行くことにしました。三輪山(標高467m)です。


 この山の麓には大神神社(おおみわじんじゃ)があり、そのご神体が、三輪山なのです。三輪山の場合は、登山ではなく、登拝なのです。社務所で注意を受けます。登山ではなく、登拝です!。その他、写真は撮らない、飲食はしない、敬虔な気持ちで登ることなどなど。裸足で登拝している方に何人も出会いました。登る前にはお祓いをしなければなりません。登る前のお祓いは、自分でするのです。一瞬迷いましたが、イエス・キリストの父なる神さまのご加護を祈りながらお祓いをしました。私たちは天地の創造主に心を向けて登拝しました。急坂が多くゆっくり登りました。往復で2時間半。ほとんどおしゃべりをしない登拝でした。意外と多くの方たちが登拝をされていました。


 神社には神社での作法というものがあるようです。鳥居をくぐるときは、拝殿に向かって、行きも帰りも礼をします。参道は真ん中を歩かず、端を歩きます。拝礼の仕方にも二礼二拍という作法があります。私は、鳥居をくぐるときは礼はしません。参道の端は歩きます。拝礼は勿論しません。昔イスラエルの民は、ヤーウェつまり主なる神を礼拝しているつもりでバールの神を礼拝していました。偶像礼拝です。お祓いをしながら(形式的には神社の作法に従う、異教の儀礼に従う)、心の中で父なる神に祈るのは似ていないかとの思いが湧いてきます。仏式の葬儀に参加し、線香をあげるのは信仰者としてどうなのか、とか、疑問は色々湧いてきますが、ポイントは常習性だと思いました。


大神神社のサイトには、祀っている大物主大神(おおものぬしのおおかみ)についてこんな説明をしています。

古事記』に大物主大神と活玉依姫(いくたまよりひめ)の恋物語が記されています。美しい乙女、活玉依姫(いくたまよりひめ)のもとに夜になるとたいそう麗しい若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、どれほども経たないうちに姫は身ごもります。
姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。さらに糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着きました。これによって若者の正体が大物主大神(おおものぬしのおおかみ)であり、お腹の中の子が神の子と知るのです。この時に糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、この地を美和(三輪)と名付けたということです。


↑夕焼け空がいいなあを思っての写真。