クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 先週の日曜日、奈良高畑教会では伝道礼拝が行われました。週報に星野富弘さんの詩が書かれていました。これに合わせて、第二礼拝堂で星野富弘カレンダー展が開催されました。先週は図書館に通い、星野さんの本を三冊ほど読みました。この際、図書館にある星野さんのすべての本を読もうかと思っています。週報に書かれていた言葉はこれです。

いのちが一番大切だと
思っていた頃
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった

 この詩を読むことができたこと、それは神さまの導きだと感じました。実は8月に礼拝説教奉仕が与えられています。説教する箇所は詩編116編と決めています。この詩編の15節に

主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。

この聖句を中心にした説教をしたいと思っていました。味わい深い詩編116編です。<いのちより大切なもの>とは何なのか、興味深い問いです。自分はこの問いにどう答えを出すのか。考えるのが楽しいです。


 もうひとつ今週ずっと考えていたことがあります。パウロは、律法の義ではなく、信仰による義を説きます。なぜ人は、律法による義、つまり自分の行いによる義を求めるのか、です。何人ものクリスチャンが「私は自分の力で生きようとしていました」と語るのを何回も聞きました。自分の力で生きる、それは律法による義につながることだと考えます。律法による義を説く偽教師とのパウロの戦いは、現代の戦いでもあると思わされました。


 春に奈良に来ました。そして今、夏です。クマゼミの鳴く声がよく聞こえてきます。