クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

家庭集会について

1.私が経験した家庭集会

 (1)母教会での経験

  私の母教会は東京郊外にある教会でした。私が母教会に通っていたのは1970年代後半から1981年春までです。その後は牧師として三重県鳥羽教会に遣わされました。その頃の日本は高度成長の時代で、東京郊外ということで教会には元気がありました。お年寄りも壮年の世代の主婦が多かったように思います。神学校在学時、一度家庭集会に出席しました。家庭集会に出席している人から礼拝に導かれ洗礼を受けた人が何人もいたのです。集会には10人前後の方々が出席していたと思います。牧師が聖書の話をし、その後自由に語り合う集会でした。活発な話し合いがなされていました。

 それまで教会の家庭集会に出席したことはありませんでした。サラリーマンとして働いていましたから。その集会は、牧師以外は皆女性で、40歳前後の方が多かったように思います。その場に自分がいるのがそぐわないというか、照れみたいなものを感じました。家庭集会は有効な伝道手段だと思いました。

 (2)教会に派遣されて

  私はクリスチャン・ホームに育ったわけでもなく、洗礼を受けて次の年に夜間の神学校に行き、4年の学びをして教会に遣わされました。何もわからないで教会に遣わされたと言っても過言ではない状態でした。

 伝道をするといっても、何をしていいのかわからないのが現実でした。伝道集会を開く、家庭集会を行う、これしか伝道の方法は分かりませんでした。最初の赴任地の鳥羽教会では、伝道集会を計画し、新聞に折り込みのチラシを入れました。家庭集会も行いました。礼拝に新しい人が来ることはほとんどなく、神学校出たての私は、説教に力を注ぎました。家庭集会も行いましたが、残念ながら実りはありませんでした。牧師としてメッセージの準備をすることは良い訓練となりました。家庭集会が伝道のために有効に機能するためには、いくつか条件があるように思います。

 その後赴任した教会でも家庭集会は行いましたが、洗礼に導かれる人を産み出すという経験はなかったように思います。まず、未信者の人が少ない、もしくはいないのが現実でした。では何のために家庭集会を行っているのかと言われたら、伝道をしているというポーズを作るためと言ったら、言いすぎかも知れませんが、伝道をしているというアリバイ作りにはなっているという面はあると思います。神さまの前に。

 それでも家庭集会を続ける中で得た恵み、発見があります。それは信仰者を育てるということです。成長といっても色んな面がありますが、証しができる信仰者になるという成長です。伝道できる信仰者になることです。ですから教会員だけでもかまいません。家庭集会に集う人数は多くはありませんから、本音で話し合う交わりをつくることができたら幸いです。そこには笑いがあり、涙があります。そしてみ言葉に対する感動があります。信仰をめぐって本音で語り合うことができるようになれば、「伝道できる信仰者」が育成されます。ここでいう「伝道できる信仰者」とは、信仰に生きている自分自身を語ることができることです。特に聖書の言葉が自分にとって生きる拠り所となっていることを具体的に語ることができれば、伝道ができます。最後の赴任地の教会での家庭集会は、本音で語り合う集会になり、楽しい家庭集会でした。

2.家庭集会、今後の見通し

  伝道が行われるためには、四つのものが必要です。伝道する人、伝道される人、伝えるメッセージ、伝道する場。家庭集会では、伝道する人、伝えるメッセージをもつ伝道する人を育成することができます。母教会の家庭集会では、未信者の人が出席していて、教会員が活発に話をするので、おのずとメッセージが飛び交っていたので伝道ができていたと思います。聖書の言葉が自分にとって生きる拠り所となっていることを具体的に語ることができれば、家族にも伝えることができ、家族伝道に道が開かれます。

  今、夫婦共に仕事をしている人が多く、家庭集会に集うのはお年寄りが多いというのが現実ではないでしょうか。お年寄りは長年の信仰生活の中で、自分の支えする聖書の言葉がいくつもあることと思います。聖書の言葉が自分にとって生きる拠り所となっていることを具体的に語り合えるなら、お年寄りだけの家庭集会は、恵まれた集会になると思います。

 お年寄りは死を意識して生きています。また体の衰えや病を抱えます。一人暮らしで孤独を抱えることもあります。恐れや不安、希望を持ちにくい状況に囲まれています。そこで聖書を共に読みながら、お互いの気持ちを分かち合うことができれば、励まされ、慰められると信じます。信仰が支えになっているなら、それは証しとなります。お年寄りの家族にとっては、老いた親や祖父母が、喜んでいる姿は伝道になると思います。

 私の母教会の家庭集会のように、40歳前後の女性たちが集まる集会は、もう開催は困難になっていると思われます。家庭集会による伝道は、原点に返って考え直さなければならない時期に来ているように思います。通常家庭集会は月一回開催されます。伝道という視点から、月一回は適切なのかどうかも、検討を要すると思います。