クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

いのちあふれる集い

  教会では週の半ばに祈祷会を持つことが多いと思います。私は牧師として働いているとき、祈祷会での聖書の学びについて工夫をしました。聖書を読むことについて、参加者が受け身になるのではなく、主体的になることを願いました。ですから私の方から聖書の解説をし、参加者から質問を受けるという方法は採りませんでした。

 最初の頃は、その日に読む聖書箇所について、そこに書かれていることを理解するために、参加者にいくつか質問を出し、それに答えてもらうようにしました。聖書を読み、考えてもらい、自分で理解するように導きました。キリスト教書店に行くと、小グループでの聖書の学びのためのテキスト、という本があり、聖書箇所と、いくつかの質問が書かれています。そのやり方を参考にして、質問をプリントして配り、皆で聖書を読み、問いを考え、理解するように導きました。

 それをある程度の期間続けました。その次は、質問のプリントを配ることをせず、聖書を読み、それぞれの感想を話してもらうようにしました。すぐに感想が出てこなくても、私はじっと待ちました。「感想がないなら、今日はこれでおしまいにします」と言ったことはありませんが、話が出るのを忍耐して待ちました。

 最初の頃は、自分が語る感想を他の人はどう思うだろうか、と他人の目(耳)を気にして感想もなかなか出にくかったのですが、少しずつ感想が語られるようになっていきました。聖書に書かれていることと自分を結びつけての話しが出てくるようになるために、私と私の妻は、自分の失敗談というか、自分のことをありのままに話すようにしました。そうするうちに参加者がだんだんと本音で話すようになりました。すると祈祷会が楽しくなり、参加者も増えてきました。うれしいですね。

 では牧師は何もしないのかと言われたら、そこで語られることをよく聞きます。話し合いが散漫にならないように、話し合いが集中するように、時に質問をし、話し合いが充実したものとなるように心がけました。聖書を中心にした楽しい集会は、いのちあふれる集いだと思います。聖書の言葉があり、御言葉に生きようとしている人がおり、そこに笑いがあり、喜びがあります。いのちあふれる集会は伝道する力があると私は信じています。そして伝道できる信仰者に一人一人が成長していくと信じています。

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↑日曜日G教会で説教奉仕をし、その後、ドライブで白浜に行きました。夕焼けがきれいでした。久しぶりの海です。