私は「神の子」というアイデンティティーを大切に思っています。アイデンティティーには二つの面があります。一つは、神さまが私たちのことをアイデンティティー通りの存在と見てくださるという面です。これは福音、恵み、と言うことができると思います。もう一つの面は、私たちが、アイデンティティ通りの人間として生きるという面です。これは応答です。神の恵みをいただきそれに応答する、それが信仰生活となります。福音としてアイデンティティーを喜びをもって受け入れ、アイデンティティー通りの人間として生きる応答をしたいと願っています。
私が「神の子」として生きることを考えるとき、大切にしている聖句があります。ヨハネの手紙一3章1~3節です。
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。
御子が清いように自分を清める、それが「神の子」というアイデンティティーを与えられたことに対する応答だと考えています。「清い」ということで思い出される聖句は、
「神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください」(詩編51:12)。
「心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る」(マタイ5:8)。
どういう人が心の清い人なのでしょうか。私は、御言葉に生きる人が心の清い人だと考えています。人間的な思いが心から消されて御言葉だけに生きる心。私は自分の歩みをみ御言葉と一つにするように心がけています。
(余談)
昨日、妻の携帯が使えなくなりました。電話をすることも受けることもできなくなりました。スマホなので、設定のミスがあるのかと調べましたが分かりません。私のスマホのSIMカードと妻の携帯のSIMカードを交換してみました。すると妻の携帯は正常に使えました。私のスマホも正常に使えました。それ故、妻のスマホ本体は故障していません。また妻の携帯のIMカードにも問題はないように見えます。私は俗に言う「格安スマホ」を使っていますので、基本的には自己責任です。何が悪いのかわからないので、結局、妻の携帯をリセットして、バックアップしたデータを入れ直して事なきを得ました。原因は不明のままです。インターネットには情報府があふれていて、助かります。
万一のことを考えて、docomoの携帯のサイトを見てみましたが、やはり高いですね。携帯本体の値段を別にすれば、私と妻の携帯はそれぞれ毎月二千円前後でおさまっています