クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

あなたは新しく造られた信仰者?

 罪の告白の祈りを聞いて、「あなたはイエス・キリストを信じ、自分が新しく生まれ変わったこと、新しく造りかえられたことを信じていますか」と問いたい気がします。いきなり問うのは、ぶしつけで相手に対して失礼になるような気がしますので問うことはしません。

 聖書はイエス・キリストを信じた人は新しい人であることを告げています。テトスの手紙3章5節の言葉を紹介します。

神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。

 ここには救いとは、聖霊によって新しく生まれ変わり、洗礼により、新たに造りかえられること、と教えています。つまり福音は罪の赦しだけではなく、イエス・キリストを信じる人が新しい存在に生まれ変わることを含むのです。信仰者が新しい存在であることは、コリントの信徒への手紙二5章17節にも教えられています。

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

 イエス様はニコデモとの対話の中で(ヨハネ福音書3章)、信仰者が新たに生まれた者であることを語っています。

はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。

 信仰者は生まれ変わった存在です。こう教えられれば、最初はこの教えを受け入れます。しかしやがて問題が生じます。自分が新しく生まれ変わった存在であるという実感がもてないのです。自分の考えること、自分の振るまい、それが信仰を持つ以前のものであることが多いのです。そうすると自分が新しく生まれ変わったと言われても、戸惑いが生じます。そして新しく生まれ変わったことが信じられなくなります。罪の赦しの福音は受け入れるのですが、新しく生まれるという福音は捨ててしまうのです。

 新しく生まれ変わるってこういうことよって、身をもって証しをする人がいればよいのですが、いません。模範となる人がいれば、感化を与えることができます。しかしそのような人がいないので、新しく生まれ変わることが絵空事になってしまうのです。こうなってしまうと罪に打ち勝つ経験、罪を克服する経験がないので、問題とされる罪の告白の祈りが問題ではなくなり、当たり前とされてしまいます。当たり前のこととして何年もこの祈りがなされています。