水曜日の夜の祈祷会に出席しています。毎週教会員を覚えて祈ります。祈りに覚える教会員で年を取っておられる方の場合、からだに衰えのある方が多いです。たとえば自分が寝たきりの状態になったとき、どう自分の信仰を支えていくのか、そういう戦いをされているのではないか、と推測します。
よくお年寄りの方が「自分はなにもできなくなって」と話されると、牧師はとかく「祈りはできますので、祈って教会を支えてください」とか返事をします。でもその祈りを支える信仰が揺らぎ始めている、そういうことが起きているのではないか、と思うようになりました。
奈良高畑教会では、礼拝説教をホームページで聞けるようにしているので、礼拝に来ることが出来なくなった教会員が、ネットで説教を聞いていますとの近況を聞くとよかったなと思います。