クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

律法からの自由(1)

 説教の中で、「神さまの教えは守らなくていいんです」と語ったことがあります。聞く人は驚くだろうし、この牧師は危ない、信用できない、と思われることを覚悟して語りました。理由は、「神さまの教えを守らなければいけない。でも守れない」と語る人が多いからです。そう語るときの表情は喜びに満ちてはいません。そこで私は「神さまの教えは守らなくていいんです」と語ります。これは聖書的です。不信仰の言葉ではありません。パウロの言葉に耳を傾けます。

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマの信徒への手紙3章24〜25節)。

「わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです」(同3章28節)。


 イエス・キリストの贖いのゆえに、私たちは救われるのであり、信仰によって義とされ救われます。神さまの教えを守らなくても、信仰によって救われるのですから、神さまの教えを守らなければならないと考えて苦しむ必要はなく、「神さまの教えを守らなくても、私は救われているんだ」と喜んだらいいのです。

「あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです」」(同6章14節)。

 律法の下にいないのなら、私たちは律法から自由なのです。言い換えると、律法を守らなくてもいいのです。クリスチャンは、この律法を守らなくてもよい自由、神さまの教えを守らなくてもよい自由を味わったらよいと思います。


その上で、次の質問を考えます。次の質問は次回。


↑今日、春日原始林遊歩道を一周したとき撮影。コミヤマスミレ。