律法からの自由(2)
次の質問。「じゃあ、律法、神さまの教えを守らなくていいのか」。
私たちは信仰によって救われているので、律法を守らなくてもよい自由があります。救われるために律法の実行、神さまの教えを守ることは何の役割も果たしていないからです。 「神の教えを守らなければならない」と考えて苦しむ必要はありません。私たちは「守らなければ」という義務感、束縛から自由なのです。解放されているのです。
質問に答えます。
「信仰者は神さまを信じているのだから、律法つまり神さまの教えを守るのが自然だし当然です」。
信仰者として生きていこうとするのに、神さまの教えを守らないというのは変です。不自然です。
信仰者は、生まれ変わった新しい人として神さまの教えを喜び、これを守りたいと考えます。しかし信仰者の内には「古い人」がいて、神さまの教えを守りたくないと反抗することがあります。反抗は不信仰なので、神の教えを守らなければいけないと自分に言い聞かせます。そして守ることはむずかしい、無理だと言い訳をしたりします。
「わたしはなんとみじめな人間なのでしょう」(ローマの信徒への手紙7章24節)。
神さまの教えを守れない自分は、罪深い人間だと考えたりします。どうしたらいいのでしょうか。次回へ、