クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

律律法からの自由(4)


 私たちは信仰によって義とされ、救われるので、律法から解放されています。律法を行わなくてもいいのです。律法を守らなければいけないと考える理由はありません。


 救われた者として生きる時、私たちは律法、神さまの教え、戒めを守ります。その時、「守らなければならない」という発想はありません。守らなければならないという束縛から私たちは解放されています。私たちは自ら進んで、喜んで、神さまの教えを守ります。義とされるため、救われるためとの動機はありません。「守らなければならない」と考えるなら、自分を律法の下に置くことになります。私たちは律法の下ではなく、恵みの下にいます。


 ではどうしたら、自ら進んで、喜んで、神さまの教えを守ることができるようになるのでしょうか。答えは、神さまを愛する人になる、だと考えます。神を愛する人になる、それが信仰者の成長です。神を愛すると言っても、特別な感情を抱くことではありません。神さまの恵みは、私たちを神さまを愛する人に変えてくださいます。

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(ヨハネ14:15)。

「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される」(ヨハネ14:21)。

「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません」(ヨハネの手紙一5:3)。

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
エスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
(マタイ22:36〜38)


 「神さまは私を愛してくださっています」との言葉はよく聞きます。しかし「私は神さまを愛しています」との言葉はあまり聞きません。私たちは神さまに片思いをさせているのでしょうか。


(律法からの自由、終わり)