クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 5月20日、G教会での礼拝説教です。礼拝は午後に行われています。礼拝後、グループに分かれて説教をめぐって語り合いが行われました。バスを降りて家路に向かう道を歩きながら詠んだ歌。妻がプレバトという番組を見ていて俳句に関心を持っています。で、僕は短歌を作る思いが与えられて、折々の自分の思いを表現したいと思いました。

御言葉の 奉仕終わりて 帰宅道
心満ち足り 頬なぜる風

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聖書 使徒言行録2章37〜42
説教 聖霊を受けて生きる
2018/05/20
→今日はペンテコステです。
ペンテコステという言葉はギリシャ語で50を意味します。
主イエスが復活されて50日後のこの日、
主イエスの弟子たちの上に聖霊が降りました。
そして弟子たちはイエス・キリストを宣べ伝え始めました。
使徒言行録2章には、弟子のペトロの説教が記録されています。
今日読んだ箇所もそのペトロの説教の後半部分です。
このペトロの説教を聞いて多くの人がイエス・キリストを信じ、
教会が誕生しました。
ペンテコステは、教会の誕生を祝う日と言ってよいと思います。


キリスト教信仰の特徴は、三位一体の神を信じることにあります。
つまり父なる神、子なる神のイエス・キリスト、そして聖霊
いずれも神であり、しかも一つの神であることを信じます。
それぞれの神には固有の働きがあります。
父なる神様はこの世界を創造された神であり、天におられて、
私たちの祈りを聞き、私たちの歩みを守り導いてくださいます。
子なる神であるイエス・キリストは、
今から二千年前にこの地上においでになり、
神の国の福音を宣べ伝えられました。
最後には十字架の上で亡くなります。
そして三日目に復活され、その後、天に昇られます。
そして目には見えませんが、今も私たちと共にいてくださいます。
父なる神そしてイエス・キリスト
いずれも私たちは親しみを感じています。
しかし聖霊なる神となると、漠然としているかもしれません。
聖霊なる神さまを知ることは大切です。
信仰者を導く神さまだからです。
今日は聖霊なる神さまについて聖書から聞きたいと思います。

ペンテコステの日、弟子たちの上に聖霊が降りました。
弟子たちは聖霊に満たされ、神の偉大な業を語り出しました。
これを見た人々は、
弟子たちは酒に酔っているのではないかと言いました。
神の偉大な業を語っている様子が、
興奮気味だったのかも知れません。
我を忘れて話しているように見えたのかもしれません。
あるいは大胆に語っている様子が普通に見えなかったのかもしれません。
するとペトロは、酒に酔っているのではなく、
預言者の語っていることが実現したのだと語り始めます。


→ペトロは説教を始めました。
2章22節からです。
イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。
ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。
神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、
不思議な業と、しるしとによって、
そのことをあなたがたに証明なさいました。
あなたがた自身が知っているとおりです」。
これを聞いているイスラエルの人々は、
エス様の活動を思い出すことができました。
病人を癒やしたり、死者を生き返らせたり、悪霊を追い出したり。
あるいは主イエスの権威ある教えにびっくりしたり。
エス様の存在に人々は注目したのです。


→ペトロは続けます。
「このイエスを神は、お定めになった計画により、
あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、
あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、
十字架につけて殺してしまったのです。
しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、
復活させられました」。
このようにペトロは説教しました。


→ここで聖霊の働きに注目したいと思います。
主イエスが十字架にかけられる前、主イエスが捕らえられたとき、
弟子たちは皆イエス様を見捨てて逃げてしまいました。
しかし今や弟子たちは確信をもって大胆にイエス様を宣べ伝えています。
この後ペトロは捕らえられ、
エス様を宣べ伝えるなと脅されますが、
脅しに屈することなく主イエスを宣べ伝え続けます。
こういう弟子の姿を見ると、
彼らは新しく生まれ変わったように思えます。
以前とは違う人間です。
イエス・キリストが救い主であるとの確信に立ち、
大胆にイエス・キリストを宣べ伝えました。
聖霊が降った弟子たちは確信を持って大胆にイエス・キリストを証ししたのです。
そしてこの日、沢山の人がイエス・キリストを信じました。
41節には、その日に三千人ほどが仲間に加わったとあります。
早くも伝道の実を結んだのです。
聖霊を受けて弟子たちは生まれ変わり、
確信を持って大胆にイエス・キリストを宣べ伝える人にされ、
伝道の実を結んだのです。
これがペンテコステの日の出来事でした。

→私たちが信じる神さまは三位一体の神さまです。
父なる神、子なる神であるイエス・キリスト
そして聖霊なる神さまは、それぞれ固有の働きをなさいます。
それでは聖霊なる神さまの固有の働きとは何でしょうか。


使徒パウロはこう述べています。
聖霊によらなければ、
だれも『イエスは主である』とは言えないのです」。
エス様を信じるように私たちを導く、
それは聖霊の働きだというのです。
私は若い頃、一人のクリスチャンの女性と知り合いになりました。
その方は私に、何人もの女性を紹介してくださいました。
つまり私はお見合いをしたわけです。
紹介される女性は皆、クリスチャン。
そして私はまだ信仰を持っていませんでした。
教会には行っていませんでした。
紹介された女性たちが、
目に見えない神さまを何故信じることができるか不思議でした。
若い私にも色んなことがあって、
やがて教会に行くようになりました。
ある時、
礼拝の説教を聞いていて信じるように強い促しを受けたことを覚えています。
その促しは聖霊の導きだと思っています。
イエス・キリストは私の救い主という信仰を
与えてくださるのは聖霊です。
聖霊のお働きによって私たちは信仰者としての歩みを始めます。


聖霊は、私たちを信仰者へと導きます。
その時、聖霊は、私たちを生まれ変わらせます。
エス様はおっしゃいました。
「はっきり言っておく。
だれでも水と霊とによって生まれなければ、
神の国に入ることはできない」(ヨハネ3:5)。
水と霊によって生まれるとは、私たちが洗礼を受けたとき、
聖霊によって新しく生まれることを意味しています。
私たちは洗礼を受け、生まれ変わり、
神の国に迎えられるとの希望を抱くことができます。
私たちは生まれ変わり、キリスト者になります。
神の子とされます。


→またパウロも述べます。
「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、
御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。
この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、
新たに造りかえる洗いを通して実現したのです」(テトス3:5)。


→この聖書の言葉も、
聖霊によって私たちは新しく生まれ、
新たに造りかえられると教えています。
信仰者は、聖霊によって新しく生まれた者なのです。
聖霊まる神について信ずべき第一のことは、
聖霊によって私たちは新しく生まれ、
新たに造りかえられることです。


→ここで大切なことは、私たちは新しく生まれ変わった者、
新しく造りかえられたものであるとの聖書の言葉を受け入れるということです。
自分が新しく生まれた、新しい人間にされたという実感がない、
とおっしゃる方もいるかもしれません。
私たちは信仰者です。
実感に基づいて信仰のことを考えません。
実感に左右されたら信仰を貫くことはできません。
あなたは、神の存在、
イエス・キリストの復活を実感して信じたのでしょうか。
辛いことが重なり、神がいるとは思えない体験をしたら、
信仰はなくなるのでしょうか。
私たちは聖書の告げることを神の言葉として、
真理の言葉として信じます。
信じることができなければ、まず、
聖書が語ることを本当だと考えるのです。


→私たちが新しい人間に生まれ変わったことについてはしるしがあります。
日曜日には礼拝に行く。
神さまに祈る。
聖書を読む。
これらは世間の人はいたしません。
それなのに、なぜあなたは礼拝に行き、神に祈り、聖書を読むのでしょうか。
それはあなたが信仰者として生まれ変わったからです。
聖霊は、まず、私たちを信仰へ導き、
私たちを新しい人間に生まれ変わらせます。
新しく生まれ変わった人の特徴は、聖書、神さまの言葉によって生きることにあります。

聖霊について信じるべき第二のことはこれです。
聖霊は、あなたと共におり、あなたの内におられるということです。今日の聖書でペトロは人々に語ります。
「悔い改めなさい。
めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、
罪を赦していただきなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けます」。
しかも
「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」。


→洗礼を受けた信仰者であるあなたは、賜物として聖霊を受けておられるのです。
つまり聖霊なる神さまは、あなたのうちに住んでおられるのです。
エス様もおっしゃっています。ヨハネ福音書14章。
「わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
この方は、真理の霊である。
・・・この霊があなたがたと共におり、これからも、
あなたがたの内にいる」。

聖霊が私たちのうちにおられることは実感できないと思います。
でも信じてよいのです。
信じることができなければ、私の内におられると考えるのです。
使徒信条に「われは聖霊を信ず」とあります。
私たちはこれを告白します。
この告白をするとき、聖霊なる神さまは私の内におられ、
私は新しく造られた人間、
信仰者として生まれ変わった人間であることを思い浮かべるとよいと思います。


→私たちのうちにおられる聖霊なる神さまは、
私たちにどう関わってくださるのでしょうか。
聖霊について信ずべき第三は、聖霊なる神さまのお働きです。
まず、聖霊の働きによって私たちは、
聖書を神の言葉と信じることができるということです。


→このことについてイエス様はこうおっしゃっています。
「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」。
聖霊は弟子たちにイエス様の話したことを思い出させる、というのです。
言い換えれば、聖霊は、私たちに聖書が神の言葉であると確信させてくださるということです。
そこで私たちは聖霊の導きを祈り求めて聖書を読みます。
聖書に親しむ中で、私たちは聖書が神の言葉と確信していきます。


ハイデルベルク信仰問答があります。
信仰の学びでよく用いられる信仰問答です。
この信仰問答に、こういう問いがあります。
「まことの信仰とは何ですか」。
私たちはイエス・キリストを信じる者ですが、
本当の信仰とは何かと問うのです。
私はこう信じる、僕はこう信じる、人は色々な信じ方をするかもしれません。
この信仰問答は、まことの信仰は何かと問うのです。
まことの信仰って、どのような信仰だと思いますか。


→答えとしてこう書かれています。
「それは神が御言葉において、
わたしたちに啓示されたことすべてを私たちが真実であると確信する、
その確かな認識のことだけでなく、
福音を通して聖霊が私たちのうちに起こしてくださる心からの信頼のことでもあります」。


→簡単に言えば、聖書を神の言葉であると認識すること、
そしてこの聖書の言葉に心から信頼すること、
これがまことの信仰だというのです。
聖書の言葉に心からの信頼を置くことができるのは、
聖霊の働きなのです。
聖霊は、聖書の言葉を神の言葉と確信させ、これに心から信頼するように私たちを導かれるのです。


聖霊はあなたを生まれ変わらせる神です。
聖霊は、あなたの内におられる神です。
聖霊は、聖書を神の言葉と確信させ、神の言葉に信頼して、
神の言葉によって生きるように導かれる神です。
祈ります。