クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 最近市役所から色々な書類が届きます。まず、市民税・県民税納付通知書、次に国民健康保険料決定通知書。税金は公的年金から天引きするとの説明書もあります。これらの書類には、どのような計算によって額が決定したのかという説明書もあります。字が小さく、読む気がしません。計算が間違っていないことを願うのみです。


私にとって、イエスはいかなる方か(2)

◎主イエスは、わたしの救い主、贖い主

 主イエスは、私を罪から救ってくださる方です。私には、自分の罪を思い知らされる出来事が三回ありました。一回目は求道者の時。私はタバコの常習者で、禁煙することができませんでした。体に悪いことは重々承知していました。タバコのせいで、よく咳が出ました。神さまから与えられている体を傷つけていいのか、それはよくないと思いながらも禁煙することはできませんでした。ある時、「吸うのはいいけど、あとでどうなっても知らないよ」と神さまから言われたような出来事があって、狼狽し、十字架の主イエスを見上げ、それがきっかけで洗礼を受けました。私の罪のために死んでくださった方、それが主イエスです。主イエスのおかげで私は、犯した罪を赦されました。私は罪赦された者です。


 二度目は牧師になってから自分を守るために嘘をつきました。その時は、自分は頭のてっぺんから足のつま先まで、罪のかたまりであると思いました。でもそんな自分が信仰生活をしていくうちに義人であるかのような錯覚に陥っていきました。特別悪しきことをしていないからです。


 三度目は、罪とは、神とどのような関わりに生きているかに関係するとの罪理解に至りました。罪を関係性で考えます。つまり神との交わりに誠実に生きようとしないこと、それが罪という理解です。神の御心を考えず、自分のことしか考えない、これが罪です。ですから神を信じない、これが罪となります。自分が何かしたというより、自分の心のあり様です。ここに至って、私は自分は罪深い者でしかないと知りました。しかし主イエスを信じるわたしのアイデンティティーは、「神の子」です。喜ばしいことです。自分を犠牲にし、罪の供え物となってくださった主イエスは、わたしの救い主、贖い主です。

わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。(ヨハネ一2:1〜2)