クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

新しい人として生きる

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リアルタイムの初日の出。テレビ撮影。


元旦礼拝の説教で「聖書の言葉を具体的に実行して生きよう」と語られ、うれしく思いました。

 信仰者は、新しく生まれた存在です。神の子です。私たちが礼拝に出席する、聖書を読む、祈る、これらは新しい人とされた「しるし」ということができます。私たちは新しい人にされているのです。

 新しい人、それは信仰者のアイデンティティーです。私たちは信仰を持つ以前の古い人の生き方を捨て、信仰者として新しい人の生き方をします。具体的にどのように生きるのか、たとえばエフェソの信徒への手紙4章17節以降に書かれています。コロサイの信徒への手紙3章にも書かれています。読んでみてください。いかに新しい人として生きるか、一人一人の信仰者の課題です。あるいは神さまに信頼して生きることも新しい人の特徴です。古い人は自分の力に信頼して生きていますが、新しい人は神さまに信頼します。

 信仰者の新しさとは何でしょうか。私自身は次のように考えています。信仰者が神の言葉によって生きようとすること、そこに信仰者の新しさがある、と。このように考え、日々聖書を読み、私は自分が新しい人であることを確認しながら信仰に生きてきました。

 新しい人、それは神の子です。そして神の子は、父なる神の子なので、父なる神さまの言葉によって生きようとします。信仰を持つ以前の私は神の言葉なしに生きることができると思って生きてきました。しかし今信仰者である私にとって、神の言葉が物事を考える土台です。神の言葉ファースト(first)です。神の言葉を土台にして生きる、ここに以前の私とは違う新しい私がいます。具体的に神の言葉に従って行動します。以下、参考聖句。

あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
ペトロ一1:23

 私たちは神の言葉によって生まれ、神の言葉によって生きると信じます。

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。
詩編119:105

 日々読む聖書の言葉、それが私の道を照らす光、私の歩みを照らす灯です。

わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
ガラテヤ5:16~17

 霊の導きに従うとは、神の言葉に従うということと考えます。信仰者は日々聖書に親しみ、神さまの導きを受けて歩みます。そこには罪との戦いもあります。肉と霊の対立があるからです。新しい人は罪との戦いを避けることはできません。