今、私は奈良高畑教会の礼拝に出席しています。奈良高畑教会は毎年クリスマスに『羊群』という教会報を発行しています。教会報といっても100ページを超えています。教会の活動報告や教会に関係した教職者からの便り、教会員の証し、など内容が豊かな教会報です。今回そこに寄稿した私の文章を紹介します。
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天の故郷を熱望して
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私にとってアブラハムは、模範となる信仰者です。受洗した東久留米教会の青年会の会報(1976年)にアブラハムについて書いたことを思い出します。40年も前になります。アブラハムが神さまの呼びかけを聞き、神さまの約束に信頼して、住み慣れた町を離れて旅をした物語は、私にとって立ち帰るべき原点のような物語です。神さまの約束に対する信頼を私はアブラハムに学びました。信仰とは神の約束に信頼することであると私は考えています。
1981年3月末に神学校を卒業し、私は東京を離れ三重県の鳥羽教会に赴任しました。私は幼い長男の手を引いて、妻は乳飲み子の長女を背負って新幹線に乗り、鳥羽に旅立ちました。名古屋から近鉄の特急に乗り、地方は緑が豊かであると思ったことが昨日のごとく思い出されます。牧師としてどんな人生が待っているのか、全く分かりませんでしたが、何の恐れも不安もなく、怖い物知らずであったような気がします。もちろん神さまが導いてくださるとの単純・素朴な信頼に立っていたように思います。それ以上に、大海原に乗り出し、航海を始めるような心境に近かったように思います。無条件の希望がありました。それから長い時が過ぎました。そして今、牧師を隠退し、老いを生きています。
老いた私にとってアブラハムはまたもや模範です。二つの点で模範です。第一に彼はためらうことなく「生まれ故郷、父の家を離れ」ました(創世記12:1)。初任地の鳥羽に行くために、生まれ育ち、住み慣れた東京を離れることには何のためらいもありませんでした。大都会の便利さにも未練はありませんでした。しかし今度は住み慣れたこの世を去るのです。年をとればこの世に対する未練は少なくなると思います。私にはあれをしておけばよかったと、し残したことへの未練はありませんが、何十年とこの世界に生きてきましたので、愛着があります。慣れ親しんできたのが、この世界です。慣れ親しんできたこの世界を離れるのです。
アブラハムは慣れ親しんだ土地を離れて行く先を知らずして旅立ちました。彼の場合、目的地はこの世界にあります。着いた場所がいやなら、戻ることができます。しかし私たちの場合は、目的地はこの世界にはありません。異世界です。いやだと思っても戻ることはできません。引き返すことはできません。この世界への愛着を捨てることにはそれなりの抵抗・ためらいを感じます。この世界にいれば安心です。しかしこの世を去り、まだ行ったことのないところへ、つまり行く先を知らずして旅立つことにいささか不安・恐れがあります。
若い頃読んだ本に恐ろしいことが書かれていたのを忘れることはできません。「神は存在しない。キリスト御自身が説教の中で、人々に衝撃を与えるような告白をする。自分は妄想を抱いていた、父など存在しないのだ、われわれはすべてお互いにみなし児なのだと」(『神の沈黙』、ヘルムート・ティーリケ著、ヨルダン社)。死者たちが天から降りてきたキリストに出会うと、キリストは「父なる神はいない。私たちはこの宇宙で孤独なのだ」と語るのです。何とも恐ろしい話しです。
アブラハムは、潔く住み慣れた地を離れました。これは模範です。神の約束の実現を信じて、その実現を期待して、住み慣れた地を離れるのです。私もまた、住み慣れたこの世を離れるのです。
第二の模範となる点は、これは創世記には書かれていませんが、新約聖書のへブライ人への手紙に書かれていることです。
「もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです」(ヘブライ人への手紙11:5)。
アブラハムは引き返すことはできましたが、天の故郷を熱望していたので、引き返すことはしなかったとあります。天の故郷を待望していたのです。この「天の故郷を待望する」ことが私にとっての模範です。
アブラハムは、住み慣れた地に引き返すことなく、旅立ちました。そして天の故郷を待ち望みました。この世への愛着を捨て、天の故郷を待ち望む信仰に歩みたいと願う者です。老いの時は、神の国を語る聖書の言葉を思いめぐらし、天の故郷を待ち望む、幸いな・恵みの時なのだと思わされます。