クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

バス停に向かいながら

 日曜日は、G教会の説教奉仕でした。朝、家からバス停まで歩きます。基本的に下りの坂道を歩きます。ある家で梅が咲いているのに気づきました。しばらく歩くと甘い香りが漂ってきます。見上げると庭木の蝋梅が沢山咲いていました。蝋梅は1月に入ったら咲いていたように思います。金沢より奈良のほうがずいぶん早く咲くような気がします。春も近いなと思っていると、自転車に乗りヘルメットをかぶった男性数名が坂を登っていきます。それなりのスピードで。自転車でツーリングをしているのでしょうか。日曜日を楽しんでいるようです。

 で、私はふっと聖句を思い起こしました。今ひとつの聖書の言葉を時々思いめぐらしています。

「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」。

 コリントの信徒への手紙の言葉です。神が準備されたのは救い主イエス・キリストです。ドイツの牧師のトゥルナイゼンが『御手に頼りて』という葬儀説教の中で、神は「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と語るのです。彼は、神は神の国を準備されていると語るのです。そして故人はそこに迎えられたと語ります。それで私は、神の国を思いつつ、「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」との言葉を思いめぐらしています。

 昔は、自分が死んだら、自分だけがこの世界からおいてきぼりにされ、忘れられてしまうような気がして死ぬことが恐ろしかったですが、今は、天の故郷に向かうことを思い、平安を与えられた良かったな、と思いながらバス停に向かいました。