クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

わたしの身に一つのとげが

 先週牧師会があり参加しました。神戸にある教会で行われました。牧師会は午後なので、どこかで昼食をとらなければなりません。それで大阪でスパイスカレーを食べることにしました。私は自分でもスパイスカレーを作りたいと考えているので、楽しみに出かけました。おいしいカレーを食べることができてうれしかったです。

 牧師会での勉強会は、ドイツのトゥルナイゼン牧師の説教をめぐっての学びでした。その説教はコリントの信徒への手紙二12章1~10節をテキストにした説教でした。パウロにとげが与えられ、パウロはそのとげを取り除いてくださいと神に三度祈りました。しかしとげを取り除いてもらえなかったばかりでなく、「わたしの恵みはあなたに十分である」と神さまがパウロに答えられたという箇所です。

 その説教の終わりの方で

「さあ、わたしたちにささっているとげについて考えてみましょう」

と説教者は語るのです。続けて

「あなたのとげをご存じでしょうか。それは小さなとげで、芽のようなものにすぎません。ところが、あなたを苦しめるのです。それが、あなたのとげです。あなたは罪の下にあって苦しんでおられるかもしれません。神の前でのあなたの生活の罪責がそうであるかもしれません。あるいは、憂うつや、眠れない夜や、生の不安や、老いと死の恐れがそうであるかもしれません。こうして告発者は、あなたをも悩ますのです」。

この告発者はサタンを意味しています。

 僕は、自分のとげについて考えたことはありませんでした。とげがあるとも思っていませんでした。しかしこの説教の言葉を味わっているうちに、僕は若いときからずっととげを抜こうとしてきたのだと気づきました。僕は小さい頃から死の恐れに悩んできました。最後は死ぬのだと思うと生きることの空しさが心を支配しました。そのことは信仰を求める動機となりました。そして僕はキリスト者になり、永遠の命の希望を与えられました。

 この希望をいかに確信するのか、それが僕の課題となりました。幼子のように素直に信じることができれば幸いです。でも不信仰で疑うのではありませんが、本当だろうかという思い・不安が心の中にあります。信じていないのか、と言われたら、信じています、と答えます。絶対的な確信を持ちたいと私は思ってきました。絶対的な確信を持つ、それは言い換えるととげを抜くことです。

 この事柄に対しての結論は、神の約束を信じる、それが神さまの答えと受けとめています。「わたしが約束するのだから信じなさい」と神さまから言われていると思っています。神さまはとげを抜いてくれません。絶対的な確信は与えてくれません。「信じなさい」とおっしゃるのです。そして「わたしの恵みはあなたに十分である」と私にも語っておられるのだと思いました。

 確かに、信仰を持つようになったのも、とげのおかげです。牧師となり聖書を学び、この問題の答えが、み言葉を信じることにあるとの結論を得ることができたのも、とげのおかげです。ミッションスクールの礼拝で、死の恐れに悩んだ自分のことを語り、救いがあることを中高生に語ることができたのも、とげのおかげです。たしかに、神さまの恵みは十分だったと思わされました。

 私にとっては収穫のあった学びでした。

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春がすぐそこに。オオイヌノフグリ