holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

御国を思う(1)

 ドイツのトゥルナイゼン牧師の葬儀説教『御手に頼りて』(日本基督教団出版局)の中に色々な聖書箇所が引用されていて、それらの聖書箇所を思いめぐらしたいとの思いが私にはあります。そして最近思いめぐらしたのは、コリントの手紙一の言葉です。これはパウロイザヤ書から引用した言葉でもあります。

「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」(2章9節)。

 トゥルナイゼン牧師は

「今ここで、わたしたちの思いは天の御父の御国へ向けられます。天の父は、イエス・キリストを通して、墓のかなたにすでに永住の地を備えてくださっています。この天上の宿りの場がどういう様子かは知る由がありませんが、わたしたちは次のように聖書が告げるところを信じます」

と語り、聖書を引用します。そこで最初に引用しているのが、上記の聖句です。「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったこと」、これを日本語では、「前代未聞のこと」と言いますね。

 私が最初に思ったことは、自分の人生で前代未聞のことが起きたか、ということです。自分の人生で起きもしないことを信じることができるだろうかと思ったのです。もしあれば、それは「しるし」であって、御国が人間の思いを越えることを信じてよいのではないかと思ったのです。

 人生を振り返ってみると、自分の思いを越えることはありました。一つは北アルプスに登ったときのことです。麓から登り稜線に出たとき、目の前に繰り広げられた山々の連なりに息を呑みました。空の青、山の緑、そして残雪の白。素晴らしいコントラストで予想もしませんでした。でもこの光景は登山に関する本や雑誌でいくらでも見ることができます。ただ自分の目で見たときの感激は全く別物でした。

 二つ目は結婚です。今はあまり聞かれませんが「結婚は人生の墓場」という言葉があります。私にとってそんなことはなく、結婚生活は神さまからの祝福でした。そのことは結婚する前にはまったくわかりませんでした。この祝福は自分が思いもしなかったこと、自分の思いを越えることでした。

 このような経験が御国の「しるし」になるのか、と言われるとならないように思います。ありふれた経験に思えます。しかし前代未聞の出来事は起きています。これからも起きるかもしれません。それは自然災害です。地震、台風、豪雨によりもたらされた家屋崩壊、水害、土砂崩れ、そして犠牲となった多くの命など、最近は私たちの思いを越える被害が起きており、前代未聞の出来事と言ってもよいと思います。これも御国の「しるし」にはなりません。

 葬儀説教で「御国は私たちの思いを越えるものです」と語ることに意味があるのかと思いました。御国は素晴らしいものだと語っても、その素晴らしさが伝わらなければ、ただ言葉だけに終わってしまうからです。どうしたらその素晴らしさが伝わるのでしょうか。少なくとも、私自身がこの聖句によって慰めや励ましをどのようにして得ることができるのか、です。

 やはり聖書の言葉に立ち帰るしかありません。パウロが前代未聞のことと語ったのはイエス・キリストの出来事です。イエス・キリストが十字架の上で亡くなり、復活された出来事です。救い主が磔で死ぬなんて人間の常識では考えられません。そればかりか、死者の中から復活したというのです。人間の思いを越える出来事であり、見たことも聞いたこともない出来事です。でもこれが救いの出来事なのです。そしてこの出来事の本質、あるいはこの出来事の一番奥深いところにあるのは、神さまの愛です。神さまの愛こそ、「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったこと」なのだと考えます。

 とすれば御国は、この神さまの愛が満ちあふれるところと言うことができます。イエス様は互いに愛し合いなさいと教えられました。愛する喜び、愛される喜び、この喜びが御国の「しるし」なのかもしれません。すると自分は神さまの愛をどのように受け取ってきたのか、が問われます。

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冬の野菜スープ

 青汁ではありません。毎朝季節に応じた野菜スープを飲んでいます。野菜だけ、調味料はありません。今日、甘みを感じました。 大根(130g)、ブロッコリー(130g)、キャベツ(70g)、玉ねぎ(40g)、にんじん(30g)。野菜は合計400g。野菜の3倍の水(1200cc)で煮て冷やし、ブレンダーでスープにします。私が作っています。