holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

恐れからの解放(1)

 ルカ福音書22章には、祭司長や律法学者たちが何とかしてイエスを捕らえて殺そうとしていたこと、しかし彼らは民衆の目を恐れて、行動に踏み切ることができなかったと書かれています。彼らにとってイエスを殺すことは正しいことでした。しかし彼らは民衆を恐れ、自らが正しいとする行動に踏み切れませんでした。恐れが邪魔をしたのです。彼らは恐れに支配されていたということができます。

 恐れがあると人は自分を守ろうとします。登山などで険しいところを登る時、多くの人は恐れを覚え、緊張し、用心深く登ります。この恐れは健全な恐れということができます。恐れを感じないで慎重さに欠く時、登山事故を起こしかねません。しかし多くの場合、恐れは人を支配し、人を不自由にし、人を束縛します。

 人はさまざまなものを恐れます。人の目を恐れます。他者が自分をどう思っているのか気にします。人からよく思われたいと人は考え、悪く思われることを恐れます。老後の生活など将来どうなるかを不安に思い、将来に対して不安や恐れを感じます。自分の立場が悪くなることを恐れ、保身に走ります。国会の審議の場で「覚えていません」とか「記憶にありません」と答えて真実を隠す人をしばしば見かけます。病気になることを人は恐れます。死を恐れます。自分に対する攻撃を恐れます。他国の脅威を恐れ、自分を守るためにどの国も軍事力を保持します。恐れのゆえに疑心暗鬼に陥ることもあります。人に拒絶される恐れ。

 恐れはやっかいなものです。しかし神さまは「恐れるな」と私たちに語りかける方です。イエス様も「恐れるな」と語りかけるお方です。「恐れるな」と語りかける方がおられる、これは福音(よい知らせ)です。

 聖書はその冒頭から恐れに捕らわれる人間を描いています。神さまが取って食べてはいけないと言われた木の実を食べたアダムとエバ。神さまがエデンの園の中を歩く音が聞こえてきた時、アダムとエバは神の顔を避け、園の木の間に隠れました。神の戒めを破り、神さまから罪を咎められるのを恐れたのです。