holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

恐れからの解放(2)


 僕は小さい頃、死の恐怖を覚えました。それを口にすることはできませんでしたし、このような恐れを持つのは自分が弱い人間だからだと考えていたからです。他の人はこの恐怖をもっているとは思いませんでした。親は自分より先に死ぬのだと思うと、親に話すこともできません。会社員になったある日、同僚と喫茶店でコーヒーを飲みながら雑談をしていた時、彼も死の恐怖を抱いていることがわかり、自分だけではなかったのだと安心したように思います。

 大学生の時、友人と尾瀬ヶ原に行きました。とても美しい自然の中に身を置く時を持ちました。すると突然、啓示を受けたかのように「生きることは空しい」との思いが心を支配しました。やがて僕は。死の恐れと空しさからの救いを求めるようになり、伝道集会に誘われたことがきっかけで教会に行きました。時間がかかりましたが洗礼を受けました。

 金沢市内の教会で牧会していた時、北陸学院中高の礼拝で死の恐れからの救いがあることを何回か語りました。かつての私のように死の恐怖に捕らえられている若い人たちがいるのではないかと思ったからです。教会員の中にも、死の恐怖に捕らえられていたことを語ってくれる人もいました。

 人は自分の死をどう考えているのか、なかなか口にしません。恐れなど感じていないかのように強がっているようにさえ見えます。デリケートな話題なので、簡単に人と話すことは私にはできません。

「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」(ヘブライ人への手紙2章14~15節)。

 この聖書の言葉を最初に読んだ時、どんな感想を持ったのかは昔のことなので覚えていません。これを読んだだけで解決するわけではありません。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ福音書3章16節)。

 イエス様は私たちを死の恐怖の奴隷から解放してくださる方です。そして信じる者に永遠の命を与えてくださる方です。知識の上で、私は救われました。希望を持つことができました。ありがたいことです。死を恐れる必要がないことは分かりました。
 信じる者に永遠の命が与えられる、これはキリスト教の教理です。この教理、聖書の教えを知って死の恐怖から自由になれた人は、恐れからの自由を得ることができました。感謝なことです。

 しかし、この教理を知ってもまだ、自由を得ることのできない人もいるのです。教理は知性に働きかけます。やっかいなことに頭では永遠の命が与えられていると理解し、死を恐れる必要のないことは分かっても、心は恐れを感じる、そういうことがあります。心はまだ恐れから救われていないのです。死の恐怖からの解放のためには、次のステップが必要となります。