クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

主イエスの受難を目撃する

 今週は受難週。そして今日は奈良高畑教会では受難日礼拝が行われました。聖餐式もありました。聖餐式に臨むに当たって一つの心づもりがありました。それは司式者が「これはわたしの体である。これはわたしの血である」と語る時、主イエスの声として聞こうと思っていたのです。

 司式者がパンを配る時の言葉はこうでした。「これは、私たちのために裂かれた主イエス・キリストの体です。あなたのために主がいのちを捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、信仰をもって心の中にキリストを味わうべきであります」。

 残念ながら「これはわたしの体である」との主イエスの言葉を聞くことができませんでした。聖餐にあずかるのには妨げにはなりませんでした。

 僕は今週、バッハのマタイ受難曲を2回聴きました。1回目は「ながら」。勉強しながら、です。2回目は、パソコンの画面に歌詞の対訳を表示し、手元に聖書のマタイ福音書を開いて、歌詞を味わいながら聴きました。CDが3枚なので、毎日1枚、3日目の今日で聴き終えました。深い感動を覚えた、ということはありません。

 僕は音楽として聞いたというより、主イエスの十字架の道行きと十字架の場面を目撃したという印象でした。主イエスが私のために十字架で死んでくださったとの静かな感動を味わいました。特にコラール(合唱曲の部分)は心に浸みます。胸が詰まりそうにもなりました。

 また今週は受難週にふさわしい聖書箇所を黙想するこができたこともうれしいことでした。そして今は、あさってのイースタ礼拝の説教の準備。イースタの喜びって何だろう。自分の本音で、自分にとっての喜びとは何か、思いめぐらして説教箇所を選びました。