クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

牧師を引退して2年が過ぎ

 牧師を引退して2年が過ぎました。娘に双子の赤ちゃんが生まれるというので奈良に転居しました。娘は夫と共に牧会しているので、育児の応援のために奈良に移り住みました。赤ちゃんの成長をじっくり見ることができたのは大きな恵みでした。

 またいくつかの教会の礼拝説教奉仕をしました。現役の時とちがって説教の準備に時間をとることができるのでありがたいです。昨年度に続き今年度も和歌山県のG教会に奉仕をします。教会員の高齢化と共に礼拝に出席する人が少なくなり、経済的にも教会が弱まっているのを見ると、伝道の急務を思わされます。

 昔のことですが、ある老信徒が「老いを生きるとは新しい経験をして生きることです」と語られたことが忘れられません。人は老いを初めて経験し、老いを経験しつつ生きることを実感します。

 老いの日々は聖書に親しみ、聖書の言葉を黙想するのにふさわしい時期です。老いの日々は「終わり」を意識する日々であり、黙想するのにふさわしい聖書の言葉がいくつもあります。コリントの信徒への手紙一13章12~13節をこれからしばらく黙想するつもりです。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

 顔と顔を合わせるようにはっきりと神を、神の国を見る希望が語られています。