クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖霊の導きを求めて(2)

 牧師となって最初に赴任したのが三重県の鳥羽教会でした。赴任した最初の夏(もしくは翌年の夏)に三重地区の中高生のキャンプが行われました。私もスタッフとして参加しました。夜、ホタルの乱舞を見たのが心に残っています。

 このキャンプの最終日、昼食を食べ終わった人から自由に解散です。皆が食べ終わったとき、年輩の先生がテーブルの上を雑巾がけをしているのを見て驚きました。それは牧師の仕事ではないと若い私は考えていたのです。しかし率先してなさっている姿を見て謙遜に仕えるということを私は教えられました。この点でこのキャンプは忘れられないキャンプでした。

 しばらくして、一通の手紙が届きました。それは夏のキャンプに生徒を引率して参加していたS教会のCSの先生からでした。そこには「あなたの話には力がありません。聖霊を受けてください」と書かれており、一冊の本が同封されていました。『聖霊の現れ』(ロバート・フロスト著、生ける水の川出版)という本でした。聖霊のバプテスマを受け、聖霊の賜物として異言を語るようになることが書かれていました。洗礼者ヨハネは、イエス様は聖霊によるバプテスマを授ける方であると語っています。この聖霊のバプテスマを受けるように促す手紙でした。

 異言と言えば、前回、求道中の時訪れた教会の祈祷会で、参加者が皆異言で祈っていることを書きました。その時は何でそんな祈りがなされるのか分かりませんでしたが、この本を見て、異言で祈っていたのかと思いました。でも正直、手紙の内容を見て、いい気持ちはしませんでした。自分に対する批判を受け入れるほど私はまだ成長していませんでした。

  本を読んでみると、聖霊に関連する聖書が次々に引用され説明がなされていますが、私にはピンときませんでした。聖霊を理解するには、私が未熟だったのです。

 考えてみると、他教会の牧師に対してこのような手紙をよく出せるなと思います。普通、思っても口にしないし手紙に書くこともしないと思います。神さまの導きなのでしょうか。

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会堂建築以前の鳥羽教会の玄関。