クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖霊の導きを求めて(3)

 私が鳥羽教会に赴任したのは、1981年4月でした。鳥羽教会には8年仕えました。神学校卒業して赴任したいわば新米の牧師でしたが、赴任して間もなく会堂建築に取りかかりました。私が赴任する以前に、土地を取得しており、移転することになっていたのです。会堂建築に着手し、忙しい日々を過ごしました。4年は古い会堂で、後半の新しい4年は新しい会堂で過ごしました。

 新しい教会に移ってしばらくしてクリスチャン夫妻が礼拝に出席するようになり、ある時、転入会を申し出られました。お二人が属していた教会は、異言を語る教会でした。信仰者のアイデンティティーとして聖霊のバプテスマを受け、そのしるしとして異言を語ることを特徴とする教会のようでした。地方は教会が少なく、同じ教派内の別な教会に移るといっても教会が見つからない場合があります。地理的な関係でやむを得ず、お二人は鳥羽教会の礼拝に出席され、転入会を申し出られました。

 このご夫妻の奥様は自分の信仰を語る時、「私はイエス様に出会いました」とおっしゃたのが印象に残っています。「出会う」というと顔と顔を合わせて出会うことと思ってしまいます。私は主イエスを信じるようになりましたが、「出会った」とは言えません。

 その頃は、聖霊のバプテスマについて、少しは勉強しましたので、聖霊のバプテスマを主張し、異言を語ることを信仰表現としている教会のあることは承知していました。私が所属する日本基督教団では、異言を語ることはしませんし、異言の賜物を求めることもしません。それで「異言」については、教会の中で話題にしないことを条件にお二人を教会員として受け入れました。

 求道者の時の異言の祈りの集会、牧師となって最初の年の地区の夏季キャンプをきっかけに「あなたの話には力がない」と書かれた手紙に添えられた書物、そしてクリスチャン夫妻の転入会、どれにも共通しているのは、聖霊のバプテスマとそのしるしとしての異言でした。

 このように、私にとって聖霊を考えるきっかけは、聖霊のバプテスマ、そのしるしとしての異言、でした。しかもそれは自派の教会では関心が向けられない事柄でした。

 記憶は定かではありませんが、たぶん鳥羽にいたときだと思います。『朝の九時』(デニス・ベネット著、生ける水の川出版)を読みました。これは聖公会の司祭のデニス・ベニス氏が聖霊のバプテスマを受け、異言を語るようになり、その信仰が変えられた次第、そしてその後の活躍を紹介した物語で、それなりに興味深いものでした。

 鳥羽時代、さらに大きな経験が待っていました。

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久しぶりのニガナ