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隠退牧師 holala によるブログ

聖霊の導きを求めて(17)

 聖霊様が

「私はあなたの内にいるよ」

と言ってくださったとの思いは心に刻まれました。体の中にあたたかいものを感じたことも忘れません。その後、二度と体験していません。その時から私は聖霊が私のうちにおられることを信じる信仰生活を始めました。

 その頃、私はまだ聖書のことが分かっていませんでした。信仰のことも分かっていなかったと言うことができます。聖書は、聖霊がキリスト者の内におられることを語っています。『神を求めて』と題するノートには祈りや聖書の言葉や、折々の思いが書かれていますが、聖霊の内住を語る聖書の言葉は書かれていませんでした。聖書を読んでいるようで読んでいなかったのです。参考のために聖書を引用しておきます。

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
(ヨハネ14:16~17)。

 

しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。
(ローマ8:9)

 

あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
(コリント一6:19)


 これらの聖句をわきまえないで聖霊を求めるなんて、無知もはなはだしかったということです。この出来事を通して私は二つのことを学びました。

  1. 聖霊は私のうちに住んでおられると信じること。
  2. 聖書を真理の言葉として信じること。

 聖書が語ることを真理として受け入れるのは信仰によります。真理として受け入れるために実感がほしいというのは人間的な思いですが、それは信仰に基づいてはいません。しかし憐れみ深い神さまは、聖霊が私のうちにおられるとのしるしを見せてくださいました。その後私は、神の言葉をそのままに真理と信じる、それが信仰であるとの信仰理解に立ち続けています。この信仰理解は聖霊の賜物であると理解しています。

 そんな私を励ます人物がアブラハムです。子孫が増えるとの約束を神さまからいただきながら、なかなか子どもが生まれず、神さまに抗議したアブラハムに、神さまは言われました。

主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
(創世記15:5~6)

 神の言葉を真実と信じる、その信仰が義とされる、私にとって大切な聖句です。神の前に義なる人は誰でしょうか。それは神の言葉を真理として、真実な言葉として信じる人です。

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