クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

折々の恵み

 先日ある姉妹から手紙をいただきました。そこには礼拝で語られた言葉、しかも姉妹の心にスーッと入ってきた言葉が書かれていました。

わたしたちがしのこした仕事を主なる神さまはすべて受けとめてくださいますから、安心して、主におゆだねにして、眠ればいいのです。主ご自身が守ってくださるのでなければ・・・・

 説教は詩編127編をもとに行われました。

主御自身が建ててくださるのでなければ
家を建てる人の労苦はむなしい。
主御自身が守ってくださるのでなければ
町を守る人が目覚めているのもむなしい。
朝早く起き、夜おそく休み
焦慮してパンを食べる人よ
それは、むなしいことではないか
主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。

 私は牧師の務めを引退しました。現役から退きました。だからといってこの国における福音宣教に無関心になってよいわけがありません。福音宣教を忘れて余生を楽しむことはできません。自分は福音宣教という使命に今も生きる者であると考えています。そして自分に何ができるのかを祈りながら考えています。

 現役の時は、仕えている教会のことで精一杯でした。引退して、いくつかの教会に説教奉仕をして、少し広い視野で教会を見ることができました。すると大きな壁とでも言えるような課題、問題が見えてきます。それに対して、自分はどれほどのことができるのか、と考えます。

 課題・問題の大きさに比べて自分の力の小ささを知らされます。ですから、自分にできる精一杯のことをして、あとは神さまにゆだねればよい、ということは分かっています。分かっていますが、心の中にはいろいろな思いも湧いてきて、心が揺れ動き、定まらず、平安が失われていきます。最近はその傾向がありました。そんな時に手紙が来たのです。

 いただいた手紙の文章を読んだとき、心に入ってきました。自分の働きは、神さまに用いられるに過ぎないことをあらためて知らされ、謙遜になるように導かれました。同時にできる精一杯は行い、神さまにゆだねるようにしたいと思いました。私の心にも、人から認められる働きをしたいとの思いがくすぶっているようです。神さまは一人の姉妹を通して、私に語って下さいました。私を顧みてくださる神さま、あなたに感謝し、あなたをたたえます。

讃美歌48番が心にひびきます。

日かげもやすろう ころにしあれば
父にぞゆだねん  きょうまきしたねを

 

日ごとわがなす あいのわざをも
ひとに知らさず かくしたまえや